♪HAPPY BIRTHDAY TO ME
2006-11-30
今日は、忙しい誕生日であった。
まず朝は、この所入力をしていた般若心経の英語訳について昨日完成したので、PRINT−OUTして先日¥100ショップで用意しておいてクリアーファイルにとじ、CD−Rにコーピーをして、Sさん宛てにエックスパックで発送の準備をした。
ついでそれをポストに投函して、病院に行って、前回つけてもらった歯の状態と、抜歯したところの確認をしてもらった。今月耳鼻科の診察のときの大先生の口の中を見ての感想やら、貼り付けた歯の状態や、右前歯のところが時々痛むとか、診察を待つ間にメモ用紙四枚ほどにアレコレ書いて担当の女医さんに見せた。「色々書いてくれて・・・」と喜んでいた。
前歯の裏がきれいに磨けていないと、磨き方の指導を受ける。自分が思っているよりも皮弁のヤセが進行していて、歯ブラシを縦にして、「グット」入れて磨くよう指導された。この所口の中に唾液が沢山溜まるようになってまていたけれど、今日改めて指を口の中に入れて確認したら、あまりのことに少々ショックだった。次回より、順次虫歯の治療予定となる。


病院のを出て、近くのマックスバリューへ行って、買い物をした。まず本家アメリカは閉店になったタワーレコードで、誕生日の祝いとして、自分用にオアシスの「ストップ・ザ・クロックス」とU2来日記念の「ザ・ベスト・オブU2 18シングルズ」、それにA嬢用に彼女が大ファンのayuの昨日出たばかりのアルバム「SECRET」を買う。
それからマックスバリューで、昼ごはん用の麺類を探した。そしたら、この夏食べていた「とろろ蕎麦」のセットがあったので、夕食用とあわせて二個をかごに入れ、さらに初めて目にする「GooTa みそ 肉菜麺」を自分用とA嬢用に1個づつかごにいれ、ついでに「生らーめん」二袋とラーメン用スープを追加してレジに行った。さらに店内のケーキー屋さんの「クッキーセット」をA嬢用に買い求めて家路に着いた。
帰ったらA嬢からの贈り物の不在通知が玄関にあったので、母の病院の帰宅を待って、代りにTELしてもらう。自分では、見知らぬ人と電話では会話できないのが辛い。
配達を待つ間に、夕食の買い出しと、用意をする。誕生日バージョンで、チョッと豪華に・・・とうほどでもないが、母は喜んで食べていた。
今夜は、
刺身(マグロ、ハマチ、甘エビ)
里芋とイカの煮物
ほうれん草の鰹節和え
蕪と胡瓜の浅漬け(自家製)
イチゴ
自分は、昼と同じ「とろろ蕎麦」セットを食べ、今日は発泡酒じゃなくて「エビスビール」を飲みながら、A嬢宛ての「愛パック 誕生記念バージョン」の梱包をする。今回は、これまでCDの特典でついていたポスターを送るため、いつもより大きい玉ねぎの箱をスーパーでもらってきた。
この所買いだめてあった具多シリーズ(愛バックの定番アイテムで、”ムチ・プリ”のために)と、クッキーにCDとポスターを箱詰めする。そうこうするうちに、再配達が届いた。開けてみたら、パジャマとガウンのセットであった。
さっそく「届いた」とメールすとる、返事がきた。「何かほしい物ありますか?」とのことなので、「笑顔がほしい」と送り返した。しばらくしたら写メが来た。元気そうな様子で、一安心する。本来の『美人』に戻っていた。久しぶりの同封されていた手紙だと、今年は体調不良が続き、度々熱が出て痩せたりしていたようである。なんとか持ち直したようである。本当に、今までよく生きているものである。
写メが「美人」だったので、PCに写メを転送して、セピアやイラスト風にPRINTしてみる。セピアか一番きれいに思った。いたずらにプリントしたのを、何種類か一緒に送ることにする。それから、簡単に近況を書いて、近くの郵便局の集中局からゆうパックで送っておいた。箱が大きかったので、送料が¥1100かかってしまった。
そして今、500mlのビールを三本飲み終わったので、コーラに25度の米焼酎を混ぜて飲みながら、これを書いている。先日チューリップの球根を植えた。無事年を越して、春まで元気にいられるようにと思って・・・
来年の誕生日を迎えられるだろうか???
不安を抱えつつの日々である。
痛いのと、苦しいのは、勘弁してほしいものである。
まず朝は、この所入力をしていた般若心経の英語訳について昨日完成したので、PRINT−OUTして先日¥100ショップで用意しておいてクリアーファイルにとじ、CD−Rにコーピーをして、Sさん宛てにエックスパックで発送の準備をした。
ついでそれをポストに投函して、病院に行って、前回つけてもらった歯の状態と、抜歯したところの確認をしてもらった。今月耳鼻科の診察のときの大先生の口の中を見ての感想やら、貼り付けた歯の状態や、右前歯のところが時々痛むとか、診察を待つ間にメモ用紙四枚ほどにアレコレ書いて担当の女医さんに見せた。「色々書いてくれて・・・」と喜んでいた。
前歯の裏がきれいに磨けていないと、磨き方の指導を受ける。自分が思っているよりも皮弁のヤセが進行していて、歯ブラシを縦にして、「グット」入れて磨くよう指導された。この所口の中に唾液が沢山溜まるようになってまていたけれど、今日改めて指を口の中に入れて確認したら、あまりのことに少々ショックだった。次回より、順次虫歯の治療予定となる。


病院のを出て、近くのマックスバリューへ行って、買い物をした。まず本家アメリカは閉店になったタワーレコードで、誕生日の祝いとして、自分用にオアシスの「ストップ・ザ・クロックス」とU2来日記念の「ザ・ベスト・オブU2 18シングルズ」、それにA嬢用に彼女が大ファンのayuの昨日出たばかりのアルバム「SECRET」を買う。
それからマックスバリューで、昼ごはん用の麺類を探した。そしたら、この夏食べていた「とろろ蕎麦」のセットがあったので、夕食用とあわせて二個をかごに入れ、さらに初めて目にする「GooTa みそ 肉菜麺」を自分用とA嬢用に1個づつかごにいれ、ついでに「生らーめん」二袋とラーメン用スープを追加してレジに行った。さらに店内のケーキー屋さんの「クッキーセット」をA嬢用に買い求めて家路に着いた。
帰ったらA嬢からの贈り物の不在通知が玄関にあったので、母の病院の帰宅を待って、代りにTELしてもらう。自分では、見知らぬ人と電話では会話できないのが辛い。
配達を待つ間に、夕食の買い出しと、用意をする。誕生日バージョンで、チョッと豪華に・・・とうほどでもないが、母は喜んで食べていた。
今夜は、刺身(マグロ、ハマチ、甘エビ)
里芋とイカの煮物
ほうれん草の鰹節和え
蕪と胡瓜の浅漬け(自家製)
イチゴ
自分は、昼と同じ「とろろ蕎麦」セットを食べ、今日は発泡酒じゃなくて「エビスビール」を飲みながら、A嬢宛ての「愛パック 誕生記念バージョン」の梱包をする。今回は、これまでCDの特典でついていたポスターを送るため、いつもより大きい玉ねぎの箱をスーパーでもらってきた。
この所買いだめてあった具多シリーズ(愛バックの定番アイテムで、”ムチ・プリ”のために)と、クッキーにCDとポスターを箱詰めする。そうこうするうちに、再配達が届いた。開けてみたら、パジャマとガウンのセットであった。さっそく「届いた」とメールすとる、返事がきた。「何かほしい物ありますか?」とのことなので、「笑顔がほしい」と送り返した。しばらくしたら写メが来た。元気そうな様子で、一安心する。本来の『美人』に戻っていた。久しぶりの同封されていた手紙だと、今年は体調不良が続き、度々熱が出て痩せたりしていたようである。なんとか持ち直したようである。本当に、今までよく生きているものである。
写メが「美人」だったので、PCに写メを転送して、セピアやイラスト風にPRINTしてみる。セピアか一番きれいに思った。いたずらにプリントしたのを、何種類か一緒に送ることにする。それから、簡単に近況を書いて、近くの郵便局の集中局からゆうパックで送っておいた。箱が大きかったので、送料が¥1100かかってしまった。
そして今、500mlのビールを三本飲み終わったので、コーラに25度の米焼酎を混ぜて飲みながら、これを書いている。先日チューリップの球根を植えた。無事年を越して、春まで元気にいられるようにと思って・・・
来年の誕生日を迎えられるだろうか???
不安を抱えつつの日々である。
痛いのと、苦しいのは、勘弁してほしいものである。
それを言っちゃおしまいヨ!
2006-11-29
昨夜母が「ミカンを取って」というので、手渡してやったら、何気なく「食べる?」と言った母の言葉に激昂して、炬燵を蹴飛ばしてしまった。
母が退院してきて、食事を作るために買い物に行くようになったとき、スーパーの惣菜コーナーは鬼門であった。あえて近寄らないようにしていた。自分には食べられない物の多さを実感するので、とても耐えられなかった。今では時折惣菜を買うこともあるけれど・・・・やはり辛いものがある。
母が退院してきて、食事を作るために買い物に行くようになったとき、スーパーの惣菜コーナーは鬼門であった。あえて近寄らないようにしていた。自分には食べられない物の多さを実感するので、とても耐えられなかった。今では時折惣菜を買うこともあるけれど・・・・やはり辛いものがある。
嚥下食(ワンタン)
2006-11-28
今夜は、久しぶりに自家製「ワンタン」を作った。私はおかわりをして、二十個ほど食べてしまった。両親も好きだし、私も好物の一つであった。
「ワンタン」とは、「雲呑」と書く。すなわち、雲を呑むのであるが、開高先生かエッセイに書いていたように、普通の中華料理店で「ワンタン」を頼むと、肉が少ししか入っていなくて、物足りなく感じる。我が家流は、しっかり肉も入っている。テルテル坊主を想像してもらえればいいかな。
さすがに肉が大きいのは、半分にしたけれど、美味しく食べられた。皮のヌルといた感じが、喉越しをよくしてくれて、無理なく食べられた。
元気な頃は、「タン麺」「チャーシュ麺」とともに「ワンタン麺」も好物の一つだった。これとチャーハンが美味しい店だと、通って食べたりしていた。財布に余裕があると、ビールと餃子や焼売を頼んだりしていた。
安いものが美味しい店が、本当の美味しい店だと思っていた。チャーハンで炒め物の実力が分かるし、麺類のスープで、その店のやる気が分かった。単純なだけに、誤魔化しがきかない。餃子や焼売が業務用の出来合いじゃないと、「肉まん」を注文してみたりした。期待できる店だと、全部自家製で楽しい食事となった。もうそんな楽しみは出来ないのが残念である。
デザートに、「ブルガリア ストロベリーヨーグルト」を食べた。数少ない、果物を食べる機会であ。イチゴの味を感じる。
ついでに、ワンタンのレシピを書いておく。
(1)豚肉の挽肉に塩・コショウして、ネバリがてるまで混ぜる。
(2)そこに、みじん切りのネギを少々と、醤油をごく少量、お好みでごま油を二・三滴追加し、サット混ぜる。
(3)市販のワンタンの皮に、フォークなどを利用してお好みの量をこすりつける様にのせる。
(4)皮に乗せた肉を利用して、テルテル坊主のような形にする。このとき、軽く握るくらいで、決して強く握ってはいけない。
(5)市販のトリガラスープの素や中華の素でスープを作っておく。
(6)鍋の中が、沸騰寸前の状態になるように火加減を調整する。
(7)鍋の中に、一人前のワンタンを入れる。
(8)浮いてきたら、火が通った証拠なので丼にすくいとる。
(9)刻みネギをちらして、コショウを添えて供する。
こつは、ワンタンを入れるとき、スープをブクブク沸騰させないことである。沸騰させると、鍋の中でワンタンが踊って身と皮が分離してしまう。あくまで、静かに。ワンタンを入れたら、お玉の背の方を利用して、崩さないようにひとまぜして、浮いてくるのをジット待つことである。
「ワンタン」とは、「雲呑」と書く。すなわち、雲を呑むのであるが、開高先生かエッセイに書いていたように、普通の中華料理店で「ワンタン」を頼むと、肉が少ししか入っていなくて、物足りなく感じる。我が家流は、しっかり肉も入っている。テルテル坊主を想像してもらえればいいかな。さすがに肉が大きいのは、半分にしたけれど、美味しく食べられた。皮のヌルといた感じが、喉越しをよくしてくれて、無理なく食べられた。
元気な頃は、「タン麺」「チャーシュ麺」とともに「ワンタン麺」も好物の一つだった。これとチャーハンが美味しい店だと、通って食べたりしていた。財布に余裕があると、ビールと餃子や焼売を頼んだりしていた。
安いものが美味しい店が、本当の美味しい店だと思っていた。チャーハンで炒め物の実力が分かるし、麺類のスープで、その店のやる気が分かった。単純なだけに、誤魔化しがきかない。餃子や焼売が業務用の出来合いじゃないと、「肉まん」を注文してみたりした。期待できる店だと、全部自家製で楽しい食事となった。もうそんな楽しみは出来ないのが残念である。
デザートに、「ブルガリア ストロベリーヨーグルト」を食べた。数少ない、果物を食べる機会であ。イチゴの味を感じる。ついでに、ワンタンのレシピを書いておく。
(1)豚肉の挽肉に塩・コショウして、ネバリがてるまで混ぜる。
(2)そこに、みじん切りのネギを少々と、醤油をごく少量、お好みでごま油を二・三滴追加し、サット混ぜる。
(3)市販のワンタンの皮に、フォークなどを利用してお好みの量をこすりつける様にのせる。
(4)皮に乗せた肉を利用して、テルテル坊主のような形にする。このとき、軽く握るくらいで、決して強く握ってはいけない。
(5)市販のトリガラスープの素や中華の素でスープを作っておく。
(6)鍋の中が、沸騰寸前の状態になるように火加減を調整する。
(7)鍋の中に、一人前のワンタンを入れる。
(8)浮いてきたら、火が通った証拠なので丼にすくいとる。
(9)刻みネギをちらして、コショウを添えて供する。
こつは、ワンタンを入れるとき、スープをブクブク沸騰させないことである。沸騰させると、鍋の中でワンタンが踊って身と皮が分離してしまう。あくまで、静かに。ワンタンを入れたら、お玉の背の方を利用して、崩さないようにひとまぜして、浮いてくるのをジット待つことである。
カリグラフィを見て
2006-11-28
昨日TVで、筆ペンを利用したカリグラフィを見た。わりと簡単そうだったので、年賀状を書くときに挑戦しょうと思った。忘れないようにメモをとりながら見ていたので、ここに再録しておく。
線を引くときに、「下に強く、上に軽く」が基本であるようだ。つまり筆が下に移動するときに太い線になり、上に移動するとき細い線になる。こつは、「下にゆっくり、上がスピード」と筆先を動かすことであるらしい。
要点は、
一、線にメリハリをつける
二、文字の傾きを一定にする
三、文字の間隔のバランスがいい(単語として読める)
紹介されていたテクニックは、
一、筆先を水で洗い、すぐ書き始めることで自然と濃淡のぼかしができる
ほとんど色が落ちるくらい洗ったほうがいいみたいである
二、薄い色の筆先に、濃い色の筆で色をつけて書くとグラデーションができる
反対色を混ぜると色がきれいにならないそうだ
ストロークを大きく、ダイナミックに動かすと、美し仕上がりになるそうだ。
線を引くときに、「下に強く、上に軽く」が基本であるようだ。つまり筆が下に移動するときに太い線になり、上に移動するとき細い線になる。こつは、「下にゆっくり、上がスピード」と筆先を動かすことであるらしい。
要点は、
一、線にメリハリをつける
二、文字の傾きを一定にする
三、文字の間隔のバランスがいい(単語として読める)
紹介されていたテクニックは、
一、筆先を水で洗い、すぐ書き始めることで自然と濃淡のぼかしができる
ほとんど色が落ちるくらい洗ったほうがいいみたいである
二、薄い色の筆先に、濃い色の筆で色をつけて書くとグラデーションができる
反対色を混ぜると色がきれいにならないそうだ
ストロークを大きく、ダイナミックに動かすと、美し仕上がりになるそうだ。
オジサンからの一言でした
2006-11-27
以下は、ある若者のところへ残してきたコメントからの引用に若干の修正したものである。
現在各社(特に生産の現場)などでは、派遣社員で生産を行っているようですが、団塊の世代の大量定年退職の時期をむかえ、過去からの生産ノウハウの伝承がうまくいかない可能性が大です。現在派遣社員でも生産が行えるのは、そういった過去の遺産を食い潰しているだけのように思います。今後、一体全体誰が作業の効率化や改善を考えるのでしょう。現場で働く人たちの日々の積み重ねで、今日があるのです。それが今日で終わるのなら、明日はこないでしょう。目先の利益の確保はできても、今日明日への備えをしないなら、日本の将来はなさそうな気がします。
と、嘆いてみてもしょうがないけれど・・・
以前何かの機会に書いたような気がするけれど、日本の社会は依然として保守的です。自社で派遣社員を利用しながら、いざ正社員を採用しょうとするとき、そのキャリアを全く認めません。この傾向は、なくならないと思います。派遣が定着して、派遣に任される仕事が細分化し単純化すればするほど、益々評価が低くなることが予想されます。何故なら、極端な言い方をすれば、ロボット化するのに金がかかるから、人間にやらせているに過ぎないからです。柔順で、ある程度適応力のあるアンドロイドとしか扱われなくなるでしょう。
懐かしいマルクスの言葉を思い出します。『人間疎外』と。あるいは、チャップリンの描いた「モダンタイムズ」を。日本が実現させた「中流社会」こそ、共産主義の幻想を実現したような感じがしていました。今それが再び幻影の彼方に行きそうになっています。今若い君達が直面している問題は、深刻化こそすれ解決に向うような気がしません。
バタイュ(?)じゃないけれど、九十年代のバブルは、戦後日本が営々として築いてきた『過剰な太陽エネルギーの蕩尽』としての社会的祭事だったように思われる。一方で日本社会は少子高齢化が本格化してきて、次なる蕩尽のための蓄積を行えなくなっている。その構造から逃れられない以上、明日再び全体が豊かな社会が実現するようには思えない。富の偏在が著しくなり、少数の豊かな者はより豊かに、貧しい者はより貧しくなるように想像される。
コネでもなんでもいいから、どこかで正社員を経験しておかないと(三年以上連続勤務の実績)、今後「下流」から這い上がるのは益々難しくなります。三十台になると、一層現実は厳しくなります。何も私ごときが忠告するまでもなく、君達若者が漠然と感じている不安だと思います。しかし本当のその恐ろしさを味わうようになったとき、既に取り返しのつかない事態になっている事実に遭遇していることでしょう。
「右手に夢を、左手に鍬を」かな。あるいは、とりあえず「夢」はポケットにしまって、「右手に鎌」にしたほうがいいかな。今後の人生の選択肢の幅を決定する重要な時期です。人生の収穫期に豊かであるように・・・
オジサンからの一言でした。
まだ自宅に住んでいて、親達が元気でいるうちは何とかなるかもしれないけれど。冬は必ずやって来る。「キリギリス」になるのか、「アリ」になるのか・・???
「キリギリス」だった者からの、若者達への嘆息と忠告です。
現在各社(特に生産の現場)などでは、派遣社員で生産を行っているようですが、団塊の世代の大量定年退職の時期をむかえ、過去からの生産ノウハウの伝承がうまくいかない可能性が大です。現在派遣社員でも生産が行えるのは、そういった過去の遺産を食い潰しているだけのように思います。今後、一体全体誰が作業の効率化や改善を考えるのでしょう。現場で働く人たちの日々の積み重ねで、今日があるのです。それが今日で終わるのなら、明日はこないでしょう。目先の利益の確保はできても、今日明日への備えをしないなら、日本の将来はなさそうな気がします。
と、嘆いてみてもしょうがないけれど・・・
以前何かの機会に書いたような気がするけれど、日本の社会は依然として保守的です。自社で派遣社員を利用しながら、いざ正社員を採用しょうとするとき、そのキャリアを全く認めません。この傾向は、なくならないと思います。派遣が定着して、派遣に任される仕事が細分化し単純化すればするほど、益々評価が低くなることが予想されます。何故なら、極端な言い方をすれば、ロボット化するのに金がかかるから、人間にやらせているに過ぎないからです。柔順で、ある程度適応力のあるアンドロイドとしか扱われなくなるでしょう。
懐かしいマルクスの言葉を思い出します。『人間疎外』と。あるいは、チャップリンの描いた「モダンタイムズ」を。日本が実現させた「中流社会」こそ、共産主義の幻想を実現したような感じがしていました。今それが再び幻影の彼方に行きそうになっています。今若い君達が直面している問題は、深刻化こそすれ解決に向うような気がしません。
バタイュ(?)じゃないけれど、九十年代のバブルは、戦後日本が営々として築いてきた『過剰な太陽エネルギーの蕩尽』としての社会的祭事だったように思われる。一方で日本社会は少子高齢化が本格化してきて、次なる蕩尽のための蓄積を行えなくなっている。その構造から逃れられない以上、明日再び全体が豊かな社会が実現するようには思えない。富の偏在が著しくなり、少数の豊かな者はより豊かに、貧しい者はより貧しくなるように想像される。
コネでもなんでもいいから、どこかで正社員を経験しておかないと(三年以上連続勤務の実績)、今後「下流」から這い上がるのは益々難しくなります。三十台になると、一層現実は厳しくなります。何も私ごときが忠告するまでもなく、君達若者が漠然と感じている不安だと思います。しかし本当のその恐ろしさを味わうようになったとき、既に取り返しのつかない事態になっている事実に遭遇していることでしょう。
「右手に夢を、左手に鍬を」かな。あるいは、とりあえず「夢」はポケットにしまって、「右手に鎌」にしたほうがいいかな。今後の人生の選択肢の幅を決定する重要な時期です。人生の収穫期に豊かであるように・・・
オジサンからの一言でした。
まだ自宅に住んでいて、親達が元気でいるうちは何とかなるかもしれないけれど。冬は必ずやって来る。「キリギリス」になるのか、「アリ」になるのか・・???
「キリギリス」だった者からの、若者達への嘆息と忠告です。
暖冬と冬野菜の価格
2006-11-27
暖冬の影響で、各地で白菜と大根の廃棄が行われている。25年ぶりらしい。廃棄により若干交付金が出るようである。但し支払いは来年なので、農家にとっては大変なことである。
今年は野菜にとって生育条件のととのった気候だったせいで、大根・白菜・キャベツの出来が大変良い。しかも、もっと遅く収穫時期をむかえる分まで、成長してしまっているらしい。それゆえ大豊作となっていて、価格の下落が続いている。昨年の1/3から1/4ぐらいとなっている。 これらは重要野菜ということで、価格調整のために廃棄処理が決定されている。
また暖冬で、冬の定番料理の「鍋」や、いまや冬のコンビの必需品でもある「おでん」などの冬の料理による消費も伸び悩んでいるようである。これらは気温により、格段に消費が違う。
生産が過剰なのに、消費が伸び悩んでいる。そのために、せっかくの収穫を廃棄するという無駄をしなければならない。何とかならないものかと思う。世界には、飢餓に直面している人々が、未だ多くいるというのに。日本の食品加工技術をもってすれば、これらの野菜を加工して日持ちするようにして、支援物資として無料で提供できないかとも思う。それこそ、おでんにしたりクリームシチューにしたり。ODAの有効な使い道となるとおもうけれど。生産を委託することで、若干の経済効果も期待できるし。主要野菜が生産過剰なときに、そのような利用を決めておくのも一つの方策だと思う。
先日の、大きなというより巨大な蕪(まるで桜島大根のようだった)も、暖冬の恵みだったようである。大きな鍋に作った味噌炊きは、半分弟に持たせてやり、残りを二日かかって三人で食べた。もっとも私の食べられたのは、蕪と柔らかくなった豚肉をつぶしてスープとともにご飯に混ぜて食べただけだけれど。
今年は野菜にとって生育条件のととのった気候だったせいで、大根・白菜・キャベツの出来が大変良い。しかも、もっと遅く収穫時期をむかえる分まで、成長してしまっているらしい。それゆえ大豊作となっていて、価格の下落が続いている。昨年の1/3から1/4ぐらいとなっている。 これらは重要野菜ということで、価格調整のために廃棄処理が決定されている。
また暖冬で、冬の定番料理の「鍋」や、いまや冬のコンビの必需品でもある「おでん」などの冬の料理による消費も伸び悩んでいるようである。これらは気温により、格段に消費が違う。
生産が過剰なのに、消費が伸び悩んでいる。そのために、せっかくの収穫を廃棄するという無駄をしなければならない。何とかならないものかと思う。世界には、飢餓に直面している人々が、未だ多くいるというのに。日本の食品加工技術をもってすれば、これらの野菜を加工して日持ちするようにして、支援物資として無料で提供できないかとも思う。それこそ、おでんにしたりクリームシチューにしたり。ODAの有効な使い道となるとおもうけれど。生産を委託することで、若干の経済効果も期待できるし。主要野菜が生産過剰なときに、そのような利用を決めておくのも一つの方策だと思う。
先日の、大きなというより巨大な蕪(まるで桜島大根のようだった)も、暖冬の恵みだったようである。大きな鍋に作った味噌炊きは、半分弟に持たせてやり、残りを二日かかって三人で食べた。もっとも私の食べられたのは、蕪と柔らかくなった豚肉をつぶしてスープとともにご飯に混ぜて食べただけだけれど。
嚥下食(かぶらの味噌炊き)
2006-11-25


今日作ったかぶらの味噌炊きを、晩ご飯に食べた。料理法は以下の通り。
まずお湯を沸かして豚肉の細切れまたは切り出しなど安いヤツを投入する。再度沸騰してきてアクが出てきたら、丁寧にすくってやる。(肉だけ先に入れてアクを引いておくと、うまくできる。また美味しいスープが取れる。他にも応用可能である。)
一方、おでんセットのようなものを用意して、別の鍋で湯を沸かして油抜きしておく。コンニャクなどは下ゆでしておく。またゆで卵も用意しておく。ようするにおでんの下ごしらえと同じ手順である。
アクをとった鍋に、下湯でした具を投入し、お好みの和風だしを入れる。またお好みの味噌を適量用意して、スープでのばし、酒・味醂に砂糖など加えてよく溶かしておく。
蕪は、「えいやぁ〜」と皮をむいて、適当な大きさにきって、ピューラーを利用して面取りをしておく。こうすると煮崩れなくなる。簡単なヒト手間。また厚くむいた皮は、捨てずにとっておく。だから最初に丁寧に洗っておくこと。これを繊維に直角に千六本に切って、人参とともに炒め煮にして、キンピラにする。
鍋に面取りした蕪を入れ、蕪の葉や、足りなければ茎の方も入れて、溶かしておいた味噌を入れて、沸騰しないように火力を調節しながら煮る。蕪の葉を、落し蓋のように入れておくとうまく煮える。蕪に串が刺されば出来上がり。一度火を落として冷まして、食べるときに温めなおせば、美味しく完成である。
この蕪をつぶして、柔らかくなった豚肉もスプーンでつぶして、ご飯に混ぜてスープをかけてリゾット風にして食べた。甘みがあり、蕪の風味もあって美味しかった。
今年は、大根、白菜とともに蕪の出来がいいようである。価格も安く、助かっている。ただ暖冬で、この先冬野菜が育ちすぎるきらいからあるかもしれない。先日、今年は「エルニィーニュ現象」だとやっていたから。
ニュース三題
2006-11-25
昨日見たニュースからの話題を・・・・
<その一>
まず、このところ報道されている銀行業界の儲けすぎについて。例を出せば、三菱東京UFJ銀行の予想最終益が一兆円を越えることになりそうである。なのに優遇されていて、一円の税金も払わずにいる。しかも今後数年は、やりたい放題・儲け放題で税金はびた一文払わずにすむ。利用者への還元は、ATMの手数料無料化をするだけである。それも来春になってやっと。それを実行しても、年間50億の還元でしかない。そもそもが、コンビATMでは、すでに無料化している所があるにもかかわらずである。なにをいまさら・・・・ なにの政治献金は再開するつもりのようである。一般庶民をバカにしてくれるものである。
<その二>
続いては、思わず「うぉ〜」と言ってしまったDMV。多分、デュアル・モード・ビークル(Dual Mode Vehicle)でいいと思う。線路も走れるバスというか、電車なのにバスにもなると言うべきなのか。ようするに、電車とバスが合体したものである。JRが、ローカル専用に開発したものらしい。各地のローカル線は赤字なので、引き合いがおおいようである。
通学用にとか、老人達の病院とうの送迎用にとか、観光用にとか・・・・ 利用方法は色々考えられるようである。目的地までは線路をスイスイ走って、到着したら突然バスに変身して道路を走行して目的を果たす。非常に良くできていた。これかで各地で活躍しそうである。
<番外>
などと午前中キーボードと格闘していたら、弟が母用に靴を持ってきた。弟は靴関連の仕事をしているので。母の足は浮腫むので、足に合う靴が中々ない。
丁度昼ごはん時だったので、久しぶりに我が家の「お好み焼き」を作ることにした。弟宅でも良くやるそうだが、大きくなったチビたちかいるので、ほっと゜レートで焼いても焼いてもすぐ食べてしまうそうである。近所のスーパーにキャベツなどを買いだしに行ったら、売り出しで子供の頭ほどもある蕪を葉つきのままで売っていた。そこのスーパーは、朝一で安売りをよくしている小さな店である。
我が家スタイルのお好み焼きは、溶いた粉を鉄板にひき、鰹節の粉をパラパラまいて、キャベツとネギを混ぜたのをのせ、紅しょうがのみじん切り、次いで豚肉・イカ・卵などをのせ、竹輪・干し海老・切りイカ・テンカスをのせ、最後に溶いた粉をお玉で全体にたらしかけて、ひっくり返して焼き上げるスタイルである。関西系の一度に混ぜて作るスタイルではない。
退院して一年半だから、二年ぶりくらいに作った。久しぶりなので、鉄板がなれるのに時間がかかった。父母と弟の三人に、五枚焼いた。最後になって、やっと以前のようなフックラとしたいい焼き具合になった。食べられないのが実に残念だった。母も久しぶりだったのでよく食べていた。弟も久しぶりの味を堪能していったようである。
大きい蕪は、「かぶらの味噌炊き」を作った。これは葉を一緒に入れないと美味しくない。レジを終わって台でカゴから袋に入れているとき、隣の人に「その蕪どうやって食べるの?」聞かれたので、材料を見せて作り方を教えてあげた。「やってみるわ」と、そのオバサンも1個買っていた。ちなみに厚くむいた皮は、キンピラにした。京都風に言えば、「しまつ」であろうか。いそがしたかったの、蕪やお好み写真を撮り忘れた。
母の様子を心配して、時々様子を見に来る。今日は一緒にお好み焼きを食べて、母が食欲があるので安心して帰っていった。「かぶらの味噌炊き」と「蕪の皮のキンピラ」に、松前漬けを作って、それに「沖付けまるごとイカ」の缶詰をお土産にもたしてやった。
弟一家はお好み焼き大好きで、子供たちが小さいときには家にくるとよく作っていた。大きくなったので、次の機会には、ホットプレートで焼きそば作っておいて時間をかせぎながら、その間に鉄板とフライパンでお好み焼きを作ってみようかとも思う。弟の奥さんも我が家のお好み焼きは大好きだし・・・
閑話休題
<その三>
名古屋のお隣稲沢市で、毎週清掃のボランティアをしている人たちが、ゴミの仕分けをしていたら、銀行の帯封のままの三百万円の紙袋を拾ったとやっていた。今日になって、七十台の男性が自分が銀行からの帰りに落としたと名乗り出たようである。
今の私なら、そんな札束を拾ったら、警察に届けるかどうか大いに悩むだろうなぁ〜〜〜。それだけあれば、アレコレ買ったり、「オネエチャン」の所へ度々遊びに行けるし。残り少ないであろう、時間を楽しめるので・・・・ 「貧すれば鈍する」じゃなくて、「貧すれば、心卑し」かな。
<その一>
まず、このところ報道されている銀行業界の儲けすぎについて。例を出せば、三菱東京UFJ銀行の予想最終益が一兆円を越えることになりそうである。なのに優遇されていて、一円の税金も払わずにいる。しかも今後数年は、やりたい放題・儲け放題で税金はびた一文払わずにすむ。利用者への還元は、ATMの手数料無料化をするだけである。それも来春になってやっと。それを実行しても、年間50億の還元でしかない。そもそもが、コンビATMでは、すでに無料化している所があるにもかかわらずである。なにをいまさら・・・・ なにの政治献金は再開するつもりのようである。一般庶民をバカにしてくれるものである。
<その二>
続いては、思わず「うぉ〜」と言ってしまったDMV。多分、デュアル・モード・ビークル(Dual Mode Vehicle)でいいと思う。線路も走れるバスというか、電車なのにバスにもなると言うべきなのか。ようするに、電車とバスが合体したものである。JRが、ローカル専用に開発したものらしい。各地のローカル線は赤字なので、引き合いがおおいようである。
通学用にとか、老人達の病院とうの送迎用にとか、観光用にとか・・・・ 利用方法は色々考えられるようである。目的地までは線路をスイスイ走って、到着したら突然バスに変身して道路を走行して目的を果たす。非常に良くできていた。これかで各地で活躍しそうである。
<番外>
などと午前中キーボードと格闘していたら、弟が母用に靴を持ってきた。弟は靴関連の仕事をしているので。母の足は浮腫むので、足に合う靴が中々ない。
丁度昼ごはん時だったので、久しぶりに我が家の「お好み焼き」を作ることにした。弟宅でも良くやるそうだが、大きくなったチビたちかいるので、ほっと゜レートで焼いても焼いてもすぐ食べてしまうそうである。近所のスーパーにキャベツなどを買いだしに行ったら、売り出しで子供の頭ほどもある蕪を葉つきのままで売っていた。そこのスーパーは、朝一で安売りをよくしている小さな店である。
我が家スタイルのお好み焼きは、溶いた粉を鉄板にひき、鰹節の粉をパラパラまいて、キャベツとネギを混ぜたのをのせ、紅しょうがのみじん切り、次いで豚肉・イカ・卵などをのせ、竹輪・干し海老・切りイカ・テンカスをのせ、最後に溶いた粉をお玉で全体にたらしかけて、ひっくり返して焼き上げるスタイルである。関西系の一度に混ぜて作るスタイルではない。
退院して一年半だから、二年ぶりくらいに作った。久しぶりなので、鉄板がなれるのに時間がかかった。父母と弟の三人に、五枚焼いた。最後になって、やっと以前のようなフックラとしたいい焼き具合になった。食べられないのが実に残念だった。母も久しぶりだったのでよく食べていた。弟も久しぶりの味を堪能していったようである。
大きい蕪は、「かぶらの味噌炊き」を作った。これは葉を一緒に入れないと美味しくない。レジを終わって台でカゴから袋に入れているとき、隣の人に「その蕪どうやって食べるの?」聞かれたので、材料を見せて作り方を教えてあげた。「やってみるわ」と、そのオバサンも1個買っていた。ちなみに厚くむいた皮は、キンピラにした。京都風に言えば、「しまつ」であろうか。いそがしたかったの、蕪やお好み写真を撮り忘れた。
母の様子を心配して、時々様子を見に来る。今日は一緒にお好み焼きを食べて、母が食欲があるので安心して帰っていった。「かぶらの味噌炊き」と「蕪の皮のキンピラ」に、松前漬けを作って、それに「沖付けまるごとイカ」の缶詰をお土産にもたしてやった。
弟一家はお好み焼き大好きで、子供たちが小さいときには家にくるとよく作っていた。大きくなったので、次の機会には、ホットプレートで焼きそば作っておいて時間をかせぎながら、その間に鉄板とフライパンでお好み焼きを作ってみようかとも思う。弟の奥さんも我が家のお好み焼きは大好きだし・・・
閑話休題
<その三>
名古屋のお隣稲沢市で、毎週清掃のボランティアをしている人たちが、ゴミの仕分けをしていたら、銀行の帯封のままの三百万円の紙袋を拾ったとやっていた。今日になって、七十台の男性が自分が銀行からの帰りに落としたと名乗り出たようである。
今の私なら、そんな札束を拾ったら、警察に届けるかどうか大いに悩むだろうなぁ〜〜〜。それだけあれば、アレコレ買ったり、「オネエチャン」の所へ度々遊びに行けるし。残り少ないであろう、時間を楽しめるので・・・・ 「貧すれば鈍する」じゃなくて、「貧すれば、心卑し」かな。
馬馬虎虎(マーマーフーフー)
2006-11-24
先日ミクシーの足あとの訪れてくれた人のところを訪ねたら、開高先生の「馬馬虎虎」からニックネームを付けられた方だった。正直「やられたぁ〜〜〜」と、歯噛みしてしまった。切歯扼腕!!!! 自分の才能のなさを嘆くばかりである。悔しい!!!!! 羨ましい!!!!!!
その旨、先方にコメントしてきたら、先方よりメッセージが来た。あちこちコメントしてくるのだけれど、中々反応がなかったりする。それなので嬉しかった。
以下は返事の一部を引用する。
↓
一応父はいますが、父方の伝統(?)にのっとって家庭的でないので、子供の頃から母子家庭のようにして育ちました。なので開高先生を読んで人生を勉強しました。さらに一度目の精神的の時には、先生の釣り関連の著作を読みまくって心癒していました。「渚にて」に出てくるエピソードのようですが・・・・ また池波正太郎先生のエッセイを読んで、襟を正してきました。この二人が人生の先達でした。
「馬馬虎虎」は、開高先生の短編『玉、砕ける』の方が初出だと思います。機会があれば再読されてみてはいかがでしょう。またつい最近 『長靴を履いた開高健』 滝田誠一郎著 小学館 ¥1600 が出版されています。先生の作品に登場する人たちを訪ねたルポです。懐かしい人名ばかりで、一気に読了しました。
↑

本箱の先生の作品。
『ロマネ・コンティ・1935年』
<目次>
玉、砕ける
飽満の種子
貝塚をつくる
黄昏の力
渚にて
ロマネ・コンティ・1935年
文春文庫 定価260円
1981年7月25日 第1刷
さすがに紙が酸性化してきて、茶色く変色してきた。時の流れとを感じると共に、あと何年この本が持つか心配である。あの時、何度読み返しただろうか!
その旨、先方にコメントしてきたら、先方よりメッセージが来た。あちこちコメントしてくるのだけれど、中々反応がなかったりする。それなので嬉しかった。
以下は返事の一部を引用する。
↓
一応父はいますが、父方の伝統(?)にのっとって家庭的でないので、子供の頃から母子家庭のようにして育ちました。なので開高先生を読んで人生を勉強しました。さらに一度目の精神的の時には、先生の釣り関連の著作を読みまくって心癒していました。「渚にて」に出てくるエピソードのようですが・・・・ また池波正太郎先生のエッセイを読んで、襟を正してきました。この二人が人生の先達でした。
「馬馬虎虎」は、開高先生の短編『玉、砕ける』の方が初出だと思います。機会があれば再読されてみてはいかがでしょう。またつい最近 『長靴を履いた開高健』 滝田誠一郎著 小学館 ¥1600 が出版されています。先生の作品に登場する人たちを訪ねたルポです。懐かしい人名ばかりで、一気に読了しました。
↑

本箱の先生の作品。
『ロマネ・コンティ・1935年』
<目次>
玉、砕ける
飽満の種子
貝塚をつくる
黄昏の力
渚にて
ロマネ・コンティ・1935年
文春文庫 定価260円
1981年7月25日 第1刷
さすがに紙が酸性化してきて、茶色く変色してきた。時の流れとを感じると共に、あと何年この本が持つか心配である。あの時、何度読み返しただろうか!
今日はマズマズかな!?
2006-11-23
今日は何とか体調が戻ってきた・・・けれど、名古屋では夕方より天候が悪くなってきたのに伴い、またお腹の左がひきつる。ついでに、こんな天候の時には息苦しさを感じるので、大きく息をしようとするのだが、そのときにもお腹の左側に違和感を感じる。
腹直筋そのものは、呼吸筋というわけではずだけれど(?)、腹式呼吸をするきに横隔膜が上下して、内臓に圧力がかかるせいか、違和感を感じる。来月形成外科の診察があるので、先生に尋ねてみようかと思う。
母は新しい入れ歯の調子がいいようになので、晩ご飯に豚肉のロースの薄切りに小麦粉を振って三枚張り合わせて作った豚カツを用意してみた。一口カツ大に三等分したので、食べやすかったようである。久しぶりの豚カツを喜んでいた。つけあわせのレタスもバリバリ食べていた。食欲があるので、なんと持っているようである。
腹直筋そのものは、呼吸筋というわけではずだけれど(?)、腹式呼吸をするきに横隔膜が上下して、内臓に圧力がかかるせいか、違和感を感じる。来月形成外科の診察があるので、先生に尋ねてみようかと思う。
母は新しい入れ歯の調子がいいようになので、晩ご飯に豚肉のロースの薄切りに小麦粉を振って三枚張り合わせて作った豚カツを用意してみた。一口カツ大に三等分したので、食べやすかったようである。久しぶりの豚カツを喜んでいた。つけあわせのレタスもバリバリ食べていた。食欲があるので、なんと持っているようである。
今日の体調は・・・
2006-11-22
今日の体調は、天候のように晴れのち曇りである。何となく・・・ヘン。
相変わらず、左のお腹が引きつるような感じがするし、胃の調子はイマイチであるし。でも気分が良かったので、午前中昨日風呂に入って着替えたので洗濯をして、ついでに便座カバーやマットも洗濯したのでトイレを掃除して、家中簡単に掃除機をかけておいた。それからお昼に買出しに行って帰ってきたら、ヘバッテ少し横になっていた。
まだ体か熱かったり、ゾクゾクしたり忙しい。本調子にはマダマダのようである。明日は寒いと先ほどのニュースで言っていたので(ここ名古屋では13度と予想されていた)、もう一枚着込まないといけないようである。体温調節が追いつかず、又具合が悪くなりそうである。自分の部屋には、セラミックヒーターのストーブを置いてある。あれから、薄着でストーブの世話になっている。部屋が暑くなりすぎないように、つけたり消したりして調節している。
このところ、母の入れ歯と言うか差し歯というか、それがはずれて歯抜けババになっていて、食事を作るのに苦労していた。慢性肝炎の影響で血小板が少なくなっているので、出血を伴うような治療を嫌がっていた。先日通っている病院の関連した歯科にいったら、何とか新しい入れ歯を作ってもらえたようである。今日からその新しい入れ歯を使い始めたので、これまでほど食事を作るのに苦労しなくて良くなったみたいである。
昨日もらってきた今月の血液検査の結果も、肝臓の調子はマズマズのようである。ただし、腹水や足の浮腫が引かないのが気になるところである。今しばらくは、生きていられるみたいである。もう少し頑張らないといけないみたいである。しんどいけれどナァ〜〜〜 親不孝者としてては、唯一の孝行であると思って・・・・・
相変わらず、左のお腹が引きつるような感じがするし、胃の調子はイマイチであるし。でも気分が良かったので、午前中昨日風呂に入って着替えたので洗濯をして、ついでに便座カバーやマットも洗濯したのでトイレを掃除して、家中簡単に掃除機をかけておいた。それからお昼に買出しに行って帰ってきたら、ヘバッテ少し横になっていた。
まだ体か熱かったり、ゾクゾクしたり忙しい。本調子にはマダマダのようである。明日は寒いと先ほどのニュースで言っていたので(ここ名古屋では13度と予想されていた)、もう一枚着込まないといけないようである。体温調節が追いつかず、又具合が悪くなりそうである。自分の部屋には、セラミックヒーターのストーブを置いてある。あれから、薄着でストーブの世話になっている。部屋が暑くなりすぎないように、つけたり消したりして調節している。
このところ、母の入れ歯と言うか差し歯というか、それがはずれて歯抜けババになっていて、食事を作るのに苦労していた。慢性肝炎の影響で血小板が少なくなっているので、出血を伴うような治療を嫌がっていた。先日通っている病院の関連した歯科にいったら、何とか新しい入れ歯を作ってもらえたようである。今日からその新しい入れ歯を使い始めたので、これまでほど食事を作るのに苦労しなくて良くなったみたいである。
昨日もらってきた今月の血液検査の結果も、肝臓の調子はマズマズのようである。ただし、腹水や足の浮腫が引かないのが気になるところである。今しばらくは、生きていられるみたいである。もう少し頑張らないといけないみたいである。しんどいけれどナァ〜〜〜 親不孝者としてては、唯一の孝行であると思って・・・・・
嚥下食(マッシュポテト)
2006-11-22
本日の隊長の体調はいまだ退潮のまま
2006-11-21
昨日は本当にしんどかったです。今日は何とか持ち直して、三食とも大嫌いなお粥を食べ、カロリーメイトの缶を飲んでエネルギー補給しました。昼間まではエネルギー不足でフラフラしていたけれど、夜になって何とか持ち直したところです。心配した風邪は大丈夫のようである。銀行口座の残高か少ないように、体にも貯金が少ないので、食べないとウルトラマンの様に直ぐにカラータイマーが点滅してしまいます。
『女のすなる更年期障害を、男として、してみんとするなり』ではないけれど、結核でひどく体が弱ったときから更年期障害と付き合うようになりました。最近訃報を耳にしたマンガ家のはらたいらさんが、中年以降「男性の更年期障害」に苦しんだということを何度か耳にしたり目にしたりしていたので、それほど驚かなかった。そもそも結核で入院中に、餓死するのが早いか抗結核薬が効果を発揮するのが早いか、競争をしていました。抗結核薬を飲むと、初期に高熱が出ることがあります。腸結核も併発していたし、白血球が異常に多かったりしたせいか、特に高熱が続き、結核が消耗病であることを思い知らされていました。なにせシャガムと立てなかった。
そのような生命の危機に瀕すると、体は余計な部分のスイッチを切ってしまうようです。『性』を失うことで、『生』を維持していたようです。ヤツと薬が効果を発揮して、塗抹検査が陰性になって長きに渡った退院が許可されても、体力に自信がなかったので、婦長さん(当時は師長に変わる一年前だった)に頼んで一ヶ月ほど余分に入院していました。
そんな頃、次第に体重の増加に伴い、更年期障害の症状が出始めました。初めは「カァ〜」とするのに体温を計ると平熱だったことが続くようになった。医師より病気に詳しく説明が分かりやすい副婦長さんに尋ねたら、「それはね、更年期の症状だよ」と教えてくれました。 退院後二年くらいは、更年期障害の症状を順次経験することとなりました。一番ひどい頃には、寝返りをうつだけでスイッチが入って涙があふれたりしていました。
何とか元に戻った頃にガンで手術して、退院した昨年の冬からまた症状が出るようになりました。同じ「ホットショット」でも、急に「カァ〜」となって頭にジワジワ汗が出てくくるのに加えて、息が苦しくなってジットしていられないし、なにより息苦しさに、このままドンドン息ができなくなって、このまま死んでしまうような恐怖心に襲われる。その恐怖心が益々息苦しさを招く。いつもその葛藤に苦しめられる。また体を締め付けるようなものには我慢できず、脱いでしまう。特に最近はお腹をのゴムが気になり、苦しさを助長したりする。分かっていても、苦しんで死ぬ恐怖心を抑えることができない。厄介なのは、いつスイッチが入るのか前兆がないことである。おもに一人で寝ているときにやって来るようである。
左側の腹直筋(通常腹筋と呼ばれる)で皮弁再建(切除した舌の替わり)したため、体を起こしたりして腹筋に力が入ると腸が圧力のかかっていない左側に移動したりする。それに昨日は同じ自律神経系のスイッチの関係か、下痢したり胃が働かなかったりしたようである。ことに胃が全然働いていなかったようで、余計にお腹のゴムが気になった。夜になって食べたり飲んだりしたのを全部「ゲー」してから、気分が良くなった。まだ胃の裏側の背中を自分で指圧すると痛みがあるので、胃の方はまだ回復していないようである。
ついでに、湿疹は随分治まってきたけれど、去年の冬悩まされた乾燥肌になりつつある。いずれにしろ、始終体のどこかをかいている。
一人で死んでいくのは大変である。苦しい時に、手を握ってくれるパートナーがいればなぁ〜と思う。死は恐くはないけれど、苦しみながら死んでいくのは勘弁してもらえないだろうか・・・死神君よ!!!!
『女のすなる更年期障害を、男として、してみんとするなり』ではないけれど、結核でひどく体が弱ったときから更年期障害と付き合うようになりました。最近訃報を耳にしたマンガ家のはらたいらさんが、中年以降「男性の更年期障害」に苦しんだということを何度か耳にしたり目にしたりしていたので、それほど驚かなかった。そもそも結核で入院中に、餓死するのが早いか抗結核薬が効果を発揮するのが早いか、競争をしていました。抗結核薬を飲むと、初期に高熱が出ることがあります。腸結核も併発していたし、白血球が異常に多かったりしたせいか、特に高熱が続き、結核が消耗病であることを思い知らされていました。なにせシャガムと立てなかった。
そのような生命の危機に瀕すると、体は余計な部分のスイッチを切ってしまうようです。『性』を失うことで、『生』を維持していたようです。ヤツと薬が効果を発揮して、塗抹検査が陰性になって長きに渡った退院が許可されても、体力に自信がなかったので、婦長さん(当時は師長に変わる一年前だった)に頼んで一ヶ月ほど余分に入院していました。
そんな頃、次第に体重の増加に伴い、更年期障害の症状が出始めました。初めは「カァ〜」とするのに体温を計ると平熱だったことが続くようになった。医師より病気に詳しく説明が分かりやすい副婦長さんに尋ねたら、「それはね、更年期の症状だよ」と教えてくれました。 退院後二年くらいは、更年期障害の症状を順次経験することとなりました。一番ひどい頃には、寝返りをうつだけでスイッチが入って涙があふれたりしていました。
何とか元に戻った頃にガンで手術して、退院した昨年の冬からまた症状が出るようになりました。同じ「ホットショット」でも、急に「カァ〜」となって頭にジワジワ汗が出てくくるのに加えて、息が苦しくなってジットしていられないし、なにより息苦しさに、このままドンドン息ができなくなって、このまま死んでしまうような恐怖心に襲われる。その恐怖心が益々息苦しさを招く。いつもその葛藤に苦しめられる。また体を締め付けるようなものには我慢できず、脱いでしまう。特に最近はお腹をのゴムが気になり、苦しさを助長したりする。分かっていても、苦しんで死ぬ恐怖心を抑えることができない。厄介なのは、いつスイッチが入るのか前兆がないことである。おもに一人で寝ているときにやって来るようである。
左側の腹直筋(通常腹筋と呼ばれる)で皮弁再建(切除した舌の替わり)したため、体を起こしたりして腹筋に力が入ると腸が圧力のかかっていない左側に移動したりする。それに昨日は同じ自律神経系のスイッチの関係か、下痢したり胃が働かなかったりしたようである。ことに胃が全然働いていなかったようで、余計にお腹のゴムが気になった。夜になって食べたり飲んだりしたのを全部「ゲー」してから、気分が良くなった。まだ胃の裏側の背中を自分で指圧すると痛みがあるので、胃の方はまだ回復していないようである。
ついでに、湿疹は随分治まってきたけれど、去年の冬悩まされた乾燥肌になりつつある。いずれにしろ、始終体のどこかをかいている。
一人で死んでいくのは大変である。苦しい時に、手を握ってくれるパートナーがいればなぁ〜と思う。死は恐くはないけれど、苦しみながら死んでいくのは勘弁してもらえないだろうか・・・死神君よ!!!!
隊長は体調不良
2006-11-20
今日は朝から絶不調であった。更年期障害と天候不良と・・・・風邪もあるかな? なので、しばしお休みしたいです。コメントにも返事できそうないので、悪しからずご容赦願います。先ほど「ゲー」して少し気分が良くなった時間を利用して。
それでは、お休みなさい!
それでは、お休みなさい!
嚥下食(味噌汁とあんかけスパ)
2006-11-19
ハナマルキ和ごころ 長ねぎとほうれん草 あぶらあげ入り
日本各地の名産から選び抜いた
「国産素材」ののお味噌汁です。
「逸品」の味わいをお楽しみください。


この所食べている朝食は、卵かけご飯とインスタント味噌汁のパターンが多くなっている。まずインスタント味噌汁の乾燥具を袋から出す前に、丁寧に潰しておくと飲み込みやすい大きさになる。大抵のインスタント味噌汁に入っている乾燥ワカメは、私の大敵である。これは潰しにくく、飲み込みにくいので。味噌汁にとろみでもつければワカメも何とかなるかもしれないが、それでは味噌汁を飲んでいる気がしない。
あんかけスパ
名古屋めし代表である、あんかけスパを食べた。スパイスのきいたあんが特徴のスパゲッティーである。それだけに以前食べたときは辛さにむせて、大変な思いをした。最近は辛いものに少しづつ慣れてきたし、上手に飲み込めるようになったので再挑戦してみた。初めは具なしで食べて様子をみた。麺の長さや太さも適当で、おいしく食べられた。なので薄切りのハムを、千六本に切って混ぜてみた。これが成功だった。ナポリタンとカルボナーラ(ミートソース)に、新しいパターンが加わった。
>キャンベル 贅沢中華湯
帆立貝入り 酸辣湯 黒酢仕立て
チョット豪華な中華スープ
具も無難に飲み込めた。
PRAJANA−PARAMITA−HRIDAYA−SUTRA
2006-11-18
魔訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩
行深般若波羅蜜多時
照見五薀皆空
度一切苦厄
舎利子
色不異空 空不異色
色即是空 空即是色
受想行識 亦復如是
舎利子
是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不滅
是故空中無色
無受想行識 無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法 無眼界乃至無意識界
無無明 亦無無明尽
乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得
似無所得故 菩提菩薩埵
依般若波羅蜜多故
心無罜礙 無罜礙故 無有恐怖
遠離一切顚倒夢想
究竟涅槃
三世諸仏
依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三貘三菩提
故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪
是無上呪 是無等等呪
能除一切苦
真実不虚
故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅僧羯諦
菩提薩婆訶
般若心経
PRAJANA−PARAMITA−HRIDAYA−SUTRA
ADORATION TO THE OMNISCIENT!
The venerable Bodhisattva Avalokitesvara,preforming his stydy in the deep Prajnaparamita(perfection of wisdom),thought thus:‘there the five Skandhas,and these he considered as by their nature empty(phenomenal)’.
‘O sariputra’,he said,‘form here is emptiness,and emptiness indeed is form.Empitiness is not different from form.form is not different from emptiness.What is form that is emptiness,what is emptiness that is form.’‘That same applies to perfection,name,conception,and knowlege.’
Here,O Sariputra,
all things have the character of emptiness.
they have no beginning,no end,
they are faultless and not faulteless,
they are not imperfect and not perfect.
Therefore,O Sariputra,
in this emptiness there is no form,no perception,no name,no concept,no knowlege.
No eye,no ear,nose,tongue,body,mind.
No form,sound,smell,taste,touch,object.
There is no eye,&c.,till we come to ‘There is no mind.’
(What is left out here are the eighteen Dhatues or aggregate,viz,eye,form,vision,ear,sound,hearing;nose,odour,smelling;tounge,flavour,tasting;body,touch,feeling;mind,object,thought.)
‘There is no knowlege,no ignorance,no destruction of knowlege,no direction of ignorance,’&c.,till we come to ‘there is no decay and death,no destruction of decay and death;there are not(the four truths,viz.that there) is pain,origin of pain, stoppage of pain,and the path to it.There is no knowlege,no obtaining(of Nirvana)’
‘A man who has approached the Prajnaparamita of the Bodhisattva dwells enveloped in consciousness.’ But when the envelopment of cosciouness has been annihailated,then he become free of all fear,beyond the reach of change,endoying final Nirvana.
‘All Buddhas of the past,present,and future,after apprroaching the Prajnaparamita,have awoke to highest perfec knowlege.’
Therefore one ought to know the geat verse of the Prajnaparamita,the verse of great wisdom,the unsurpassed verse,the peeless verse,which appeases all pain−it is truth,because it is not false−
the verse proclaimed in the Prajnaparapmita:“O wisdom,gone,gone,gone to the shore,landed at the other shore,Svaha!”,
Thus ends the heart of the Prajnaparamita.
補)先日の英訳には抜けているところがあったので修正する(11/23)(11/24)いつになったらチャンとするんだぁ〜、不信心だからしょうがないかぁ〜。
追記)07/11/15に多くの人からアクセスをいただいたようなので、07/11/16に完全版をアップしました。よろしければそちらも参照下さい。プラグインのカレンダーから07/11/16を選択していただければ、容易にたどり着けると思います。
m(__)m
観自在菩薩
行深般若波羅蜜多時
照見五薀皆空
度一切苦厄
舎利子
色不異空 空不異色
色即是空 空即是色
受想行識 亦復如是
舎利子
是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不滅
是故空中無色
無受想行識 無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法 無眼界乃至無意識界
無無明 亦無無明尽
乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得
似無所得故 菩提菩薩埵
依般若波羅蜜多故
心無罜礙 無罜礙故 無有恐怖
遠離一切顚倒夢想
究竟涅槃
三世諸仏
依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三貘三菩提
故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪
是無上呪 是無等等呪
能除一切苦
真実不虚
故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅僧羯諦
菩提薩婆訶
般若心経
PRAJANA−PARAMITA−HRIDAYA−SUTRA
ADORATION TO THE OMNISCIENT!
The venerable Bodhisattva Avalokitesvara,preforming his stydy in the deep Prajnaparamita(perfection of wisdom),thought thus:‘there the five Skandhas,and these he considered as by their nature empty(phenomenal)’.
‘O sariputra’,he said,‘form here is emptiness,and emptiness indeed is form.Empitiness is not different from form.form is not different from emptiness.What is form that is emptiness,what is emptiness that is form.’‘That same applies to perfection,name,conception,and knowlege.’
Here,O Sariputra,
all things have the character of emptiness.
they have no beginning,no end,
they are faultless and not faulteless,
they are not imperfect and not perfect.
Therefore,O Sariputra,
in this emptiness there is no form,no perception,no name,no concept,no knowlege.
No eye,no ear,nose,tongue,body,mind.
No form,sound,smell,taste,touch,object.
There is no eye,&c.,till we come to ‘There is no mind.’
(What is left out here are the eighteen Dhatues or aggregate,viz,eye,form,vision,ear,sound,hearing;nose,odour,smelling;tounge,flavour,tasting;body,touch,feeling;mind,object,thought.)
‘There is no knowlege,no ignorance,no destruction of knowlege,no direction of ignorance,’&c.,till we come to ‘there is no decay and death,no destruction of decay and death;there are not(the four truths,viz.that there) is pain,origin of pain, stoppage of pain,and the path to it.There is no knowlege,no obtaining(of Nirvana)’
‘A man who has approached the Prajnaparamita of the Bodhisattva dwells enveloped in consciousness.’ But when the envelopment of cosciouness has been annihailated,then he become free of all fear,beyond the reach of change,endoying final Nirvana.
‘All Buddhas of the past,present,and future,after apprroaching the Prajnaparamita,have awoke to highest perfec knowlege.’
Therefore one ought to know the geat verse of the Prajnaparamita,the verse of great wisdom,the unsurpassed verse,the peeless verse,which appeases all pain−it is truth,because it is not false−
the verse proclaimed in the Prajnaparapmita:“O wisdom,gone,gone,gone to the shore,landed at the other shore,Svaha!”,
Thus ends the heart of the Prajnaparamita.
補)先日の英訳には抜けているところがあったので修正する(11/23)(11/24)いつになったらチャンとするんだぁ〜、不信心だからしょうがないかぁ〜。
追記)07/11/15に多くの人からアクセスをいただいたようなので、07/11/16に完全版をアップしました。よろしければそちらも参照下さい。プラグインのカレンダーから07/11/16を選択していただければ、容易にたどり着けると思います。
m(__)m
お寒うこ゜ざいます
2006-11-17
名古屋でも流れる雲が低くなり、風か冷たくなっています。完全に冬モードになったようです。去年の冬は乾燥肌と肌寒さになやまされた。脛など掻きすぎて血だらけになったぐらいだった。風呂上りにローションを全身に塗っていた。今年も大変な冬となりそうである。今年の夏は気温に影響されて体温が上昇して、微熱状態が続いた。冬はその反対になりそうである。たまらんなぁ〜〜
今日の昼は、乾麺のきし麺を食べて、夜はこの所の定番のラーメンと、母のリクエストのおでんの大根を小さく潰してに味噌をかけてだべた。きし麺の映像を撮るのを忘れた。三種類の幅の麺が入っているきし麺で、昔の感じに近いきし麺だった。これは魔法の粉の世話にならずとも、そのまま食べれた。次回はチャンと記録して、嚥下食で投稿しようと思う。どうも記録することは苦手である。
去年より早く、重ね着の枚数が増えてきた。昨日リビングは、コタツ布団を出してきて完全に冬状態になっている。このPCが乗っているテーブルもコタツだけれど、引きっぱなしの布団とテーブルの上のPCやプリンターなどのコードや、本や食料の入った箱などなどでゴチャゴチャしているので、今年はコタツを出そうかどうか迷う。コタツを作ると、いよいよ騒然として部屋になってしまう。でもやはり寒いので・・・せめてコタツ布団を新しいのにしたいけれどももももももも、財布の中が風邪をひいているしなぁぁぁぁぁ。
今日の昼は、乾麺のきし麺を食べて、夜はこの所の定番のラーメンと、母のリクエストのおでんの大根を小さく潰してに味噌をかけてだべた。きし麺の映像を撮るのを忘れた。三種類の幅の麺が入っているきし麺で、昔の感じに近いきし麺だった。これは魔法の粉の世話にならずとも、そのまま食べれた。次回はチャンと記録して、嚥下食で投稿しようと思う。どうも記録することは苦手である。
去年より早く、重ね着の枚数が増えてきた。昨日リビングは、コタツ布団を出してきて完全に冬状態になっている。このPCが乗っているテーブルもコタツだけれど、引きっぱなしの布団とテーブルの上のPCやプリンターなどのコードや、本や食料の入った箱などなどでゴチャゴチャしているので、今年はコタツを出そうかどうか迷う。コタツを作ると、いよいよ騒然として部屋になってしまう。でもやはり寒いので・・・せめてコタツ布団を新しいのにしたいけれどももももももも、財布の中が風邪をひいているしなぁぁぁぁぁ。
仮想的有能感の時代
2006-11-16
11月14日の中日新聞の「名大サロンの主役」のコラムに、教育発達科学研究科の速水敏彦教授の記事が出ていた。「他人を見下す若者たち」の著者である。「仮想的有能感」とは、最近の若者の行動を説明するために考え出された概念のようである。
今の若者の特徴を、「膨張する外面」と「萎縮する内面」と捉えている。「膨張する外面」とは電車内で座席を占有するような横柄な態度や、万引き等に見られる罪悪感の希薄化のことである。「萎縮する内面」とは、自信のなさや自分自身をを積極的に評価できない傾向のことである。
この矛盾する「膨張する外面」と「萎縮する内面」の間を結ぶ概念が、根拠なき自己肯定感の「仮想的有能感」である。すなわち、自己の直接的な成功体験に関係なく、他者の能力を批判的に評価・軽視する傾向から習慣的に生じる有能さの感覚のことである。自分以外はバカと考えることで成り立つ、実社会での成功体験や実績を伴わない「仮想的な有能感」。
大きなロゴのブランド品を身につけている女性や、次から次へとブランド品を買い漁る人を見かけるが、アレは自信の根拠の欠如や自我の脆弱性の表れである。自己を高く評価出来ないでいる不安から、ブランド品のロゴにすがっている哀れな姿である。真に輝いている人なら、ブランド品に頼る必要などない。同様な自信の根拠の欠如や自我の脆弱性を、他人の評価を下げることで自分自身の価値を相対的に上げようとする行動のことであるように私は理解した。謙譲語とは、自分が一歩退くことで相手の位置を上にする言葉である。この逆の行為のようでもある。
「仮想的有能感」の強い人の特徴は、共感性に乏しく、常に怒りの感情を抱いていて、家族、友人関係、学業での不快感情が高い。また個人的な出来事には怒りやすく、重大な負の社会的出来事には怒りも悲しみも感ずることがなく無関心である。その実例は、集団でいじめをする生徒、自分の能力を会社が認めないという新入社員、子供の成績の悪さを担任のせいにする親・・・・・
「仮想的有能感」の生まれる背景は、希薄化する人間関係にある。
塾に通う小学生に「何時に帰ってくるか分からない」からと携帯を持たせるバカな親のことをTVでやっていた。何故子供が塾から帰ってくる時間が分からないのか。それは子供と会話していないことの表れである。こんなバカな親の子供たちの食事風景に、一家団欒などなく、個食(一人ひとり別に食べる)であることが容易に想像される。
マクルーハンが言うがごとく「社会の窓」としてのTVニュースは、当事者としてではなく傍観者として見てしまうことで批判的な立場になる。もっとも「クールなメディア」であるコンピーター・ゲームの普及は、仮想世界と現実世界の境界を低くしてしまった。バーチャル・リアリティに脳が慣れることで、よりTVという箱の中の出来事は、リアリティを失いつつあるように思う。
つまり人間は社会的動物であるのに、現実世界の集団の中での自分の価値なり存在感を実感できなくなり、本当の意味での自尊感情を持つことができずにいるから、「自分は他人よりすぐれている」という幻想を持つことで自己確認しようとする心理と理解した。
「仮想的有能感」から脱するには、三つの方法が示されていた。
一つ目は、個性化より社会化。たとえば幼児期に人間として共通の行動様式を身につけさせること。
二つ目は、親密なコミュニケーション。たとえばオトナが子供たちに、自分の子供の頃の夢や失敗を語るようなことから、子供たちに感情を通わせる経験を持たせる。
三つ目が、本当の意味での自尊感情の強化。例えば祭り等の青年会のような、社会の中での自分が役立っていると感じられる仕組みを作る。
以上、考えさせられることが多々あったので、自分の解釈を加えつつここに記す。
今の若者の特徴を、「膨張する外面」と「萎縮する内面」と捉えている。「膨張する外面」とは電車内で座席を占有するような横柄な態度や、万引き等に見られる罪悪感の希薄化のことである。「萎縮する内面」とは、自信のなさや自分自身をを積極的に評価できない傾向のことである。
この矛盾する「膨張する外面」と「萎縮する内面」の間を結ぶ概念が、根拠なき自己肯定感の「仮想的有能感」である。すなわち、自己の直接的な成功体験に関係なく、他者の能力を批判的に評価・軽視する傾向から習慣的に生じる有能さの感覚のことである。自分以外はバカと考えることで成り立つ、実社会での成功体験や実績を伴わない「仮想的な有能感」。
大きなロゴのブランド品を身につけている女性や、次から次へとブランド品を買い漁る人を見かけるが、アレは自信の根拠の欠如や自我の脆弱性の表れである。自己を高く評価出来ないでいる不安から、ブランド品のロゴにすがっている哀れな姿である。真に輝いている人なら、ブランド品に頼る必要などない。同様な自信の根拠の欠如や自我の脆弱性を、他人の評価を下げることで自分自身の価値を相対的に上げようとする行動のことであるように私は理解した。謙譲語とは、自分が一歩退くことで相手の位置を上にする言葉である。この逆の行為のようでもある。
「仮想的有能感」の強い人の特徴は、共感性に乏しく、常に怒りの感情を抱いていて、家族、友人関係、学業での不快感情が高い。また個人的な出来事には怒りやすく、重大な負の社会的出来事には怒りも悲しみも感ずることがなく無関心である。その実例は、集団でいじめをする生徒、自分の能力を会社が認めないという新入社員、子供の成績の悪さを担任のせいにする親・・・・・
「仮想的有能感」の生まれる背景は、希薄化する人間関係にある。
塾に通う小学生に「何時に帰ってくるか分からない」からと携帯を持たせるバカな親のことをTVでやっていた。何故子供が塾から帰ってくる時間が分からないのか。それは子供と会話していないことの表れである。こんなバカな親の子供たちの食事風景に、一家団欒などなく、個食(一人ひとり別に食べる)であることが容易に想像される。
マクルーハンが言うがごとく「社会の窓」としてのTVニュースは、当事者としてではなく傍観者として見てしまうことで批判的な立場になる。もっとも「クールなメディア」であるコンピーター・ゲームの普及は、仮想世界と現実世界の境界を低くしてしまった。バーチャル・リアリティに脳が慣れることで、よりTVという箱の中の出来事は、リアリティを失いつつあるように思う。
つまり人間は社会的動物であるのに、現実世界の集団の中での自分の価値なり存在感を実感できなくなり、本当の意味での自尊感情を持つことができずにいるから、「自分は他人よりすぐれている」という幻想を持つことで自己確認しようとする心理と理解した。
「仮想的有能感」から脱するには、三つの方法が示されていた。
一つ目は、個性化より社会化。たとえば幼児期に人間として共通の行動様式を身につけさせること。
二つ目は、親密なコミュニケーション。たとえばオトナが子供たちに、自分の子供の頃の夢や失敗を語るようなことから、子供たちに感情を通わせる経験を持たせる。
三つ目が、本当の意味での自尊感情の強化。例えば祭り等の青年会のような、社会の中での自分が役立っていると感じられる仕組みを作る。
以上、考えさせられることが多々あったので、自分の解釈を加えつつここに記す。
コメントの引用
2006-11-15
以下は、ある人のブログへのコメントをここに再現したものである。忘れないように、自分のところへも・・・・
↓
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
明晰なる頭脳と鋭敏なる感性は、時に鋭利な刃物となり、外界の世界を切り裂いてしまいます。そこに目を背けたくなる真実を見るのに絶えられなくなったなら、ゴルゴダの丘に登ればいいのでしようか? それとも、菩提樹の下で瞑想すればいいのでしょうか?? それは私にも分からないです。
現在読んでいる「オイディプス症候群」 笠井潔著 カッパ・ノベルズ P56より以下を引用します。
『「ここにあるものは彼方にあものだ、ここにないものはどこにもない。(略)」
カケルはヒンズー教の聖者の言葉を引用して教授に答えたのだが、それはフッサール現象学の精髄を暗示するものであった。イギリス経験論の伝統に忠実に、人間は主観性の世界に閉じこめられていると現象学は主張する。人間は「ここにある私」が認識できる「ここにあるもの」の世界の外側に、なにか真の実体性や超越性が存在すると思いがちなのだけれど、それは虚妄にすぎない。
ヒンズー教の聖者の言葉「ここにあるものは彼方にあるものだ、ここにないものはどこにもない」とは、実体性や超越性として了解されるすべてが、認識主観のスクリーンに写った現象にすぎないという意味だろう。(略)
ようするにカケルは、ものごとが「真に」あるかないかを、人間は「真に」決定することなど原理的にできないといいたいのだ。事実と夢幻のあいだに原理的な区別はない。私が「現実」だと信憑するリアリティの強度だけが、すべてを決定する。現実よりリアルな夢がある一方、夢よりリアリティが希薄な現実もある。このような場合には、夢が現実で現実が夢てあるとしか考えようがない。事実と夢幻を絶対的に区別できる原理など、人間には与えられていないのだ。』
ザ・バンドの解散コンサートのドキュメント「ラスト・ワルツ」で、ロビー・ロバートソンがインタビューに答えて、「終わりの始まりの終わり」と言っていたような記憶があります。まさに「ウロボスのヘビ」のような連鎖を想起します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
↑
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明晰なる頭脳と鋭敏なる感性は、時に鋭利な刃物となり、外界の世界を切り裂いてしまいます。そこに目を背けたくなる真実を見るのに絶えられなくなったなら、ゴルゴダの丘に登ればいいのでしようか? それとも、菩提樹の下で瞑想すればいいのでしょうか?? それは私にも分からないです。
現在読んでいる「オイディプス症候群」 笠井潔著 カッパ・ノベルズ P56より以下を引用します。
『「ここにあるものは彼方にあものだ、ここにないものはどこにもない。(略)」
カケルはヒンズー教の聖者の言葉を引用して教授に答えたのだが、それはフッサール現象学の精髄を暗示するものであった。イギリス経験論の伝統に忠実に、人間は主観性の世界に閉じこめられていると現象学は主張する。人間は「ここにある私」が認識できる「ここにあるもの」の世界の外側に、なにか真の実体性や超越性が存在すると思いがちなのだけれど、それは虚妄にすぎない。
ヒンズー教の聖者の言葉「ここにあるものは彼方にあるものだ、ここにないものはどこにもない」とは、実体性や超越性として了解されるすべてが、認識主観のスクリーンに写った現象にすぎないという意味だろう。(略)
ようするにカケルは、ものごとが「真に」あるかないかを、人間は「真に」決定することなど原理的にできないといいたいのだ。事実と夢幻のあいだに原理的な区別はない。私が「現実」だと信憑するリアリティの強度だけが、すべてを決定する。現実よりリアルな夢がある一方、夢よりリアリティが希薄な現実もある。このような場合には、夢が現実で現実が夢てあるとしか考えようがない。事実と夢幻を絶対的に区別できる原理など、人間には与えられていないのだ。』
ザ・バンドの解散コンサートのドキュメント「ラスト・ワルツ」で、ロビー・ロバートソンがインタビューに答えて、「終わりの始まりの終わり」と言っていたような記憶があります。まさに「ウロボスのヘビ」のような連鎖を想起します。
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嚥下食(生ラーメン3)
2006-11-15
やっと最近になって、ラーメン以外を食べるようになってきた。とりあえず、卵かけご飯にインスタント味噌汁を朝に食べるようになった。インスタント味噌汁は、なるべくワカメの入っていないのにしている。他の具はお湯を入れる前にツブしておけば何とかなるけれど、乾燥ワカメは小さく潰せないし、飲み込むのは中々大変であるので。
味に関して批評しないのは、前回までと同様である。カッコの中に感想を述べることにする。それ以外は前回と同じように袋の広告文を引用したものである。
屋台の味 屋台ラーメン 中華そば
いまにもチャルメラの音が聞こえてきそうな、昔なつかしい味です。
熟成生麺 厳選された小麦粉で練り上げたコシの強い味のあるちりちりめんです。
スープ じっくり煮つめた屋台の味を煮干でそのまま再現してみました。ご家庭でお楽しみ下さい。
「ヤッパリこの味と麺のスタイルが、懐かしくもあり食べやすくもある。」
株式会社 安田製麺所
熟成生麺
瀬戸内港町の人々が愛し育んだ 尾道ラーメン
旨味濃厚な醤油味
味の深みと豊かなコク
守り続けた伝承の味わい
豚脂入り特製スープ
林芙美子や志賀直哉をはじめとする文化人にこよなくあいされ、映画の舞台としても知られる瀬戸内海の港町尾道。市街の坂道筋には昔ながらの情緒ある家が立ち並び、歴史ある古寺も数多く点在して心を和ませてくれます。この港町の人々が愛し育んだ「尾道ラーメン」は、煮干を隠し味とし、豚脂が浮いた醤油ベースのスープと熟成されたコシのある平打麺が特徴です。このあっさりとした豊潤な味わいが、数多くの人たちに愛され続ける忘れられない美味しさです。ご当地ならではの伝承の味を、どうぞご賞味くださいませ。
「豚脂も好ましい量であった。」
有限会社 尾道栄食 AS
日清の ラーメン屋さん
タンメン
小麦の風味を往かした極細麺
タンメンスープ 鶏ガラと香味野菜をじっくり煮込み香辛料を加えて仕上げたコク深い味わいのタンメンスープです。
極細麺 小麦粉の風味豊かな、しっかりとしたコシのある細麺。歯応えの良いストレート麺は、コクのあるスープによく合います。
「子供の頃、一人暮らしをしていた伯母の所へ遊びに行くと、よく食べさせてもらったのが、近くのうどん屋のきし麺大盛りと、隣の寿司屋のチラシ寿司と、近所の飲み屋(?)の串かつと中華料理屋のタンメンであった。私にとって、タンメンは懐かしい味のひとつである。若かりし頃、東京で一人暮らしをしていた時分にも、よく中華料理屋で食べていた。いつの頃か、ラーメンが主流になり、タンメンがメニューから消えていったのは寂しいことだった。酢を少し入れたりするのが、好みの食べ方だった。子供の時食べさせてもらった中華料理屋は、何年か前親戚の葬儀があったときの帰り道に寄ってみて注文したら、記憶とおなし味と盛り付けで出てきて、懐かしく食べた事があった。あの小さめのキクラゲが入っていて、一挙に子供の頃を思い出した。」
日清食品株式会社
生平打ちぢれ麺
喜多方ラーメン
蔵仕込の醤油味
雪解けのおいしい水と良質小麦粉から作られた腰のある麺です
ラーメンの町喜多方は、会津地方の北部に位置し、厳しい風土につちかわれた人情味あふれるまちです。冬は飯豊かおろしが粉雪を巻上げ、激しいふぶきの日が続きます。厳しい自然と雪解けのおいしい水がっくり上げた喜多方ら〜めん本舗の喜多方ラーメンをご賞味ください。
「やはり平打麺は、少し食べづらいです。」
株式会社 喜多方ら〜めん本舗
日清の お鍋ひとつで
生ラーメン しょうゆ
ゆでこぼし不要の生めん
お鍋ひとつで調理!
コシが強いめんにスープがよくからみます。
「これも懐かしく食べやすいラーメンだった。日清バンザイ! 現在アメリカのハゲタカどもに狙われている明星食品もよろしく!!」
日清食品株式会社
日清の お鍋ひとつで手軽に調理
醤油とんこつラーメン
ゆでこぼし不要の生めん お鍋ひとつで手軽に調理!コシか強くスープがよくからみます。
醤油とんこつスープ 濃厚なとんこつエキスに香味野菜を加えて味に深みをだし、濃口本醸造醤油で仕上げたコクのあるスープです。
「同上」
日清食品株式会社
北海道 江別小麦めん
醤油ラーメン 小麦の香り豊かなシコシコ・もちもち麺
ハルユタカの日本最大産地から
広大な北海道の「麦の里えべつ」は、幻の小麦粉といわれる「ハルユタカ」の最大産地。「江別小麦めん」は、味わい豊かなハルユタカをラーメン専用に配合した100%江別産の小麦めん。道産大豆を使用した醤油と再仕込み醤油などをブレンドし、まろやかさを出した醤油スープと共にお召し上がりください。
「北海道系らしく、スープにラード(?)が多目に入っていて好ましかった。麺は確かにコシがあるけれど、わりと短めで飲み込みやすかった。」
株式会社 菊水
味に関して批評しないのは、前回までと同様である。カッコの中に感想を述べることにする。それ以外は前回と同じように袋の広告文を引用したものである。
屋台の味 屋台ラーメン 中華そばいまにもチャルメラの音が聞こえてきそうな、昔なつかしい味です。
熟成生麺 厳選された小麦粉で練り上げたコシの強い味のあるちりちりめんです。
スープ じっくり煮つめた屋台の味を煮干でそのまま再現してみました。ご家庭でお楽しみ下さい。
「ヤッパリこの味と麺のスタイルが、懐かしくもあり食べやすくもある。」
株式会社 安田製麺所
熟成生麺瀬戸内港町の人々が愛し育んだ 尾道ラーメン
旨味濃厚な醤油味
味の深みと豊かなコク
守り続けた伝承の味わい
豚脂入り特製スープ
林芙美子や志賀直哉をはじめとする文化人にこよなくあいされ、映画の舞台としても知られる瀬戸内海の港町尾道。市街の坂道筋には昔ながらの情緒ある家が立ち並び、歴史ある古寺も数多く点在して心を和ませてくれます。この港町の人々が愛し育んだ「尾道ラーメン」は、煮干を隠し味とし、豚脂が浮いた醤油ベースのスープと熟成されたコシのある平打麺が特徴です。このあっさりとした豊潤な味わいが、数多くの人たちに愛され続ける忘れられない美味しさです。ご当地ならではの伝承の味を、どうぞご賞味くださいませ。
「豚脂も好ましい量であった。」
有限会社 尾道栄食 AS
日清の ラーメン屋さんタンメン
小麦の風味を往かした極細麺
タンメンスープ 鶏ガラと香味野菜をじっくり煮込み香辛料を加えて仕上げたコク深い味わいのタンメンスープです。
極細麺 小麦粉の風味豊かな、しっかりとしたコシのある細麺。歯応えの良いストレート麺は、コクのあるスープによく合います。
「子供の頃、一人暮らしをしていた伯母の所へ遊びに行くと、よく食べさせてもらったのが、近くのうどん屋のきし麺大盛りと、隣の寿司屋のチラシ寿司と、近所の飲み屋(?)の串かつと中華料理屋のタンメンであった。私にとって、タンメンは懐かしい味のひとつである。若かりし頃、東京で一人暮らしをしていた時分にも、よく中華料理屋で食べていた。いつの頃か、ラーメンが主流になり、タンメンがメニューから消えていったのは寂しいことだった。酢を少し入れたりするのが、好みの食べ方だった。子供の時食べさせてもらった中華料理屋は、何年か前親戚の葬儀があったときの帰り道に寄ってみて注文したら、記憶とおなし味と盛り付けで出てきて、懐かしく食べた事があった。あの小さめのキクラゲが入っていて、一挙に子供の頃を思い出した。」
日清食品株式会社
生平打ちぢれ麺喜多方ラーメン
蔵仕込の醤油味
雪解けのおいしい水と良質小麦粉から作られた腰のある麺です
ラーメンの町喜多方は、会津地方の北部に位置し、厳しい風土につちかわれた人情味あふれるまちです。冬は飯豊かおろしが粉雪を巻上げ、激しいふぶきの日が続きます。厳しい自然と雪解けのおいしい水がっくり上げた喜多方ら〜めん本舗の喜多方ラーメンをご賞味ください。
「やはり平打麺は、少し食べづらいです。」
株式会社 喜多方ら〜めん本舗
日清の お鍋ひとつで生ラーメン しょうゆ
ゆでこぼし不要の生めん
お鍋ひとつで調理!
コシが強いめんにスープがよくからみます。
「これも懐かしく食べやすいラーメンだった。日清バンザイ! 現在アメリカのハゲタカどもに狙われている明星食品もよろしく!!」
日清食品株式会社
日清の お鍋ひとつで手軽に調理醤油とんこつラーメン
ゆでこぼし不要の生めん お鍋ひとつで手軽に調理!コシか強くスープがよくからみます。
醤油とんこつスープ 濃厚なとんこつエキスに香味野菜を加えて味に深みをだし、濃口本醸造醤油で仕上げたコクのあるスープです。
「同上」
日清食品株式会社
北海道 江別小麦めん醤油ラーメン 小麦の香り豊かなシコシコ・もちもち麺
ハルユタカの日本最大産地から
広大な北海道の「麦の里えべつ」は、幻の小麦粉といわれる「ハルユタカ」の最大産地。「江別小麦めん」は、味わい豊かなハルユタカをラーメン専用に配合した100%江別産の小麦めん。道産大豆を使用した醤油と再仕込み醤油などをブレンドし、まろやかさを出した醤油スープと共にお召し上がりください。
「北海道系らしく、スープにラード(?)が多目に入っていて好ましかった。麺は確かにコシがあるけれど、わりと短めで飲み込みやすかった。」
株式会社 菊水
嚥下食(あんかけスパ)
2006-11-15
「舌がん 名医」 の検索者へ
2006-11-14
アクセス解析のサーチ・ワードを見ると、数は多くないものの、相変わらず毎月そのような検索があるようである。今日は診察だったので、大先生に舌ガン患者のことを尋ねてみた。がんセンターにいた頃に比べると舌癌の患者は少なく、咽頭関連の腫瘍の患者が多いとのことであった。また舌ガンに関しては腫瘍の場所により、口腔外科と連携することもあるとの事であった。
ガンに対する治療は、主に抗がん剤による化学療法と、放射線療法と、手術による三つの方法がある。手術を考えるなら、私の主治医のF先生は現在経験・年齢ともベストの時期に当たるように思います。人間的にも安心できる医師で、よくいる受験のチャンピオン的器量の狭い人物とは、一線を画す人柄である。
耳鼻咽喉科関連の腫瘍で、手術を考えるなら、現在の担当医に紹介を依頼して診察を受けてみるのも一つの選択肢だと思います。外来で紹介で訪れる人の様子をみていると、私そうだったように重症の人もままあるようである。こればっかりは、時間が勝負である。果敢に決断されんことを・・・・
リンク・リストにある大学病院で、F先生の手術を受けました。その大学病院には、腫瘍による欠損の再建に欠かせない形成外科や、術後のリハビリテーションに経験豊富なS言語療法士(嚥下障害)も在職されいます。
大先生は愛知県下であれば、その名は良く知られているようです。お名前をここに書くと、ご迷惑をかけるかもしれないのであえて名を伏せておきます。
追記(07/09/01)
私が手術を受けた名大病院をリンクリストに載せてあったのだけれど、先方のバージョンアップで現在勝手にリンク出来なくなっています。
どのサーチエンジンでも、簡単に名古屋大学附属病院を検索出来るので、そちらかを参照されたし。耳鼻咽喉科の腫瘍担当の
F先生が、私のお世話になっている先生である。
また、個々にご質問等があるなら、その旨コメントいただければ、またいつでもメールファームを設置します。
ガンに対する治療は、主に抗がん剤による化学療法と、放射線療法と、手術による三つの方法がある。手術を考えるなら、私の主治医のF先生は現在経験・年齢ともベストの時期に当たるように思います。人間的にも安心できる医師で、よくいる受験のチャンピオン的器量の狭い人物とは、一線を画す人柄である。
耳鼻咽喉科関連の腫瘍で、手術を考えるなら、現在の担当医に紹介を依頼して診察を受けてみるのも一つの選択肢だと思います。外来で紹介で訪れる人の様子をみていると、私そうだったように重症の人もままあるようである。こればっかりは、時間が勝負である。果敢に決断されんことを・・・・
リンク・リストにある大学病院で、F先生の手術を受けました。その大学病院には、腫瘍による欠損の再建に欠かせない形成外科や、術後のリハビリテーションに経験豊富なS言語療法士(嚥下障害)も在職されいます。
大先生は愛知県下であれば、その名は良く知られているようです。お名前をここに書くと、ご迷惑をかけるかもしれないのであえて名を伏せておきます。
追記(07/09/01)
私が手術を受けた名大病院をリンクリストに載せてあったのだけれど、先方のバージョンアップで現在勝手にリンク出来なくなっています。
どのサーチエンジンでも、簡単に名古屋大学附属病院を検索出来るので、そちらかを参照されたし。耳鼻咽喉科の腫瘍担当の
F先生が、私のお世話になっている先生である。
また、個々にご質問等があるなら、その旨コメントいただければ、またいつでもメールファームを設置します。
腕時計
2006-11-13
今朝起きたらあるはずの腕時計がなくて、ビックリした。何のことはない、時計バンドの寿命がきれて切れただけだった。布団の中に、転がっていた。今の人たちは、携帯で時間を確認するようだけれど、我々の世代にとって腕時計をすることは、大人の証であった。それ故に、今でも腕時計をしている。
昔は某スイスのメーカーの自動巻きの腕時計をしていたが、重たいので今は正確無比なカシオの水晶発振のを愛用している。「カシオ クオーツ ウオーターレジスト 5BAR」で、曜日が日本語と英語が選択できて、日にちも表示しているのである。曜日と日にちを確認できないと安心できないのでネ。なにせ、そろそろボケを心配しないといけないから。
それにしても腕時計そのものを買うのと、時計の一部であるバンドを買うのと、天秤にかけないといけないのは、異常な世界ではないだろうか。幸い¥500ほどの安いのが売っていたけれど(定価は倍以上する)、少しこったバンドだと、新品の腕時計を買ったほうがましであるのは、やはり異常ではないだろうか? パーツが、完成品より高いのは、いびつな資本主義ではないだろうか??
昔は某スイスのメーカーの自動巻きの腕時計をしていたが、重たいので今は正確無比なカシオの水晶発振のを愛用している。「カシオ クオーツ ウオーターレジスト 5BAR」で、曜日が日本語と英語が選択できて、日にちも表示しているのである。曜日と日にちを確認できないと安心できないのでネ。なにせ、そろそろボケを心配しないといけないから。
それにしても腕時計そのものを買うのと、時計の一部であるバンドを買うのと、天秤にかけないといけないのは、異常な世界ではないだろうか。幸い¥500ほどの安いのが売っていたけれど(定価は倍以上する)、少しこったバンドだと、新品の腕時計を買ったほうがましであるのは、やはり異常ではないだろうか? パーツが、完成品より高いのは、いびつな資本主義ではないだろうか??
しょせんその程度なホリエモン
2006-11-12
企業のトップとして、その責任から逃れているホリエモンに未来はない。今回の騒動の責任を回避することに努めているホリエモンなどに、企業のトップたる資質はかけらもない。そんな彼を崇めているヒルズ族など、クズでしかない。
もし彼が一連の騒動の全責任は自分にあると認めていたなら、一時的には辛い思いをするかもしれないけれど、伝統的日本社会とは、そのような潔い人に対し寛容であった。ホリエモンのように、ひたすらその責任をまっとうしようとしない人に対しては、排斥する傾向にある。
社会的に責任をとるべき立場にありながら、それが社長の責務であるにもかかわらづ、全て部下のせいにするようなアホに、誰が従うのであろうか??
所詮東大出とは、その程度のアホである。そんな彼を崇めているヒルズ族などに未来はない。帝王学のかけらもないホリエモンを擁護する馬鹿げたヒルズ族たちに、大衆は支持を与えない。それが歴史の真実である。そんな経営者が、成功しないのは当然である。今の幻想に、物事の本質を理解できない彼等に、明日の成功はないのではないだろうか??
それともそんな彼等が成功するほど、日本国の民度の平均値は下がったのであろうか??? 大衆は、そんなにバガになったのであろうか??? 懐かしいスローガンを叫ばなければならないのだろうか、「立て万国の労働者」と!?!?!
もし彼が一連の騒動の全責任は自分にあると認めていたなら、一時的には辛い思いをするかもしれないけれど、伝統的日本社会とは、そのような潔い人に対し寛容であった。ホリエモンのように、ひたすらその責任をまっとうしようとしない人に対しては、排斥する傾向にある。
社会的に責任をとるべき立場にありながら、それが社長の責務であるにもかかわらづ、全て部下のせいにするようなアホに、誰が従うのであろうか??
所詮東大出とは、その程度のアホである。そんな彼を崇めているヒルズ族などに未来はない。帝王学のかけらもないホリエモンを擁護する馬鹿げたヒルズ族たちに、大衆は支持を与えない。それが歴史の真実である。そんな経営者が、成功しないのは当然である。今の幻想に、物事の本質を理解できない彼等に、明日の成功はないのではないだろうか??
それともそんな彼等が成功するほど、日本国の民度の平均値は下がったのであろうか??? 大衆は、そんなにバガになったのであろうか??? 懐かしいスローガンを叫ばなければならないのだろうか、「立て万国の労働者」と!?!?!
無意識からのメッセージ
2006-11-12
以下は、以前マコト君のところへ投稿したものをコピーしてきたものである。
『迷える羊は、何処へ向って歩けばいいのでしょう?示された答えを信じられないとき、何処に神がいるのでしょう。盲目的従属が信仰なら、人はなぜ意味を求めるのでしょう。それに気づいたなら、神がもたらす安寧を放棄することになるのに。』
時々これを本当に自分で書いたのかと驚くことがある。この文章もその一つである。酒精の見せる幻想の中、脳の中の何かが投稿欄の言葉に触発されて書いた文章であるようである。普段自分がそんなことを考えていたとは思えないような内容である。以前宗教について考えたことがあるけれど。そのときの思考が呼び覚まされたよに想像するしかない。でなければ、こんな言葉が即座に出でくるとは思えない。
何日か前、シンディー・ローパーの「TRUE COLORS」のことを書いた時に、この曲をカバーしたフィル・コリンズのことを連想したと書いた。以下にその二曲を・・・・ つたない訳ながら。
♪TAKE ME HOME
Take that look of worry
I’m an ordinary man
They don’t tell me nothin’
So I find out all can
There’s fire that’s been burnin’
Right outside my door
I can’t see but I feel it
And it helps to keep me whole
悲しそうな顔をする
私は普通の人
誰も何も教えてくれない
自分に出来るこは自分で捜す
炎があがっている
ドアを出たすぐ右手に
見えなくとも感じるんだ
それが自分でいさせてくれる
Seems so long I been waitin’
Still don’t know what for
There no point this hating
I don’t worry anymore
I can come out to find you
I don’t like to go outside
They can’t turn off my feelings
Like they’re turnin’ off the light
長い間待っている
もう何を待っているかわからない
いくら憎んでもしょうがないし
どんなに悩んだったってしょうがない
君を捜しに出かけることが出来る
でも外に出かけたくない
誰も私の感情を消すことは出来ない
彼等が電灯のスイッチを切るように
Take that look of worry
Mine’s an ordinary life
Workin’ when it’s daylight
And sleepin’ when it’s night
I got no far horizon
I don’t wish upon a star
They don’t think that I listen
Oh but I know who they are,and
不安げな顔をするが
普通の人生を送っている
昼間働き
夜になると寝る
遠く地平線を望むことなく
星に願いをかけることもない
彼等は私が耳をそばだてているのを知らない
でも私は彼らのことを知っている
’Cause I don’t remember
Take,take me home
Oh Lord
Well I’ve been a prisoner all my life
And I can say to you
But I don’t remember
いずこが我が住みかが思い出せないから
家に連れて行ってくれ
主よ
生まれて以来煉獄にとらわれ続けてきた
これだけは言える
でも思い出せない
Take,take me home
’Cause I don’t remember
もう一曲が、
♪ANOTHER DAY IN PARADISE
She calls out to the man on the street
“sir,can you help me?
it’s cold,and I’ve nowhere to steep
is there somewhere you can tell me?”
彼女は道を行く人に呼びかける
「助けていただけませんか?
寒くて、寝る所もありません
何処か助けてくれる場所を教えてもらえませんか?」
He walks on,doesn’t look back
he pretends he can’t hear her
starts to whistle as he crosses the street
seems embarrased to be there
彼は振り返ることもなく歩き続ける
彼は彼女の声が聞こえないふりをする
道を横切ろうとすると口笛がこだまする
そこにいることを困惑しているように
Oh think twice,its another day for
you and me in paradise
Oh think twice,its just another day for you
you and me in paradise
よく考えてみよう
昨日は私もあなたもパラダイスにいたかもしれないと
よく考えてみよう
明日は私もあなたもパラダイスにいるかもしれないと
She calls out to the man on the street
he can see she’s been crying
she’s got blisters the soles of her feet
can’t walk,but she’s trying
彼女は道行く男に声をかける
彼には彼女が泣き続けていたの分かる
彼女の足の裏にはまめができていて
歩くことが出来ないでいる、でも歩こうとしている
Oh Lord,is there nothing more anybody can do
Oh Lord,there must be someting you can say
主よ、もうこれ以上人が出来ることは残されていない
主よ、何か言うべき事があるのではありまんか?
You can tell from the lines on her face
you can tell she’s been there
probably been moved on from every place
’cos she didn’t fit in there
あなたには彼女の顔に刻まれたシワからわかるはずだ
あなたには彼女がずっとそこにいたことが
多分アチラコチラ彷徨ってきたのだろう
なぜならどこにも安住の地はなかったのだから
『迷える羊は、何処へ向って歩けばいいのでしょう?示された答えを信じられないとき、何処に神がいるのでしょう。盲目的従属が信仰なら、人はなぜ意味を求めるのでしょう。それに気づいたなら、神がもたらす安寧を放棄することになるのに。』
時々これを本当に自分で書いたのかと驚くことがある。この文章もその一つである。酒精の見せる幻想の中、脳の中の何かが投稿欄の言葉に触発されて書いた文章であるようである。普段自分がそんなことを考えていたとは思えないような内容である。以前宗教について考えたことがあるけれど。そのときの思考が呼び覚まされたよに想像するしかない。でなければ、こんな言葉が即座に出でくるとは思えない。
何日か前、シンディー・ローパーの「TRUE COLORS」のことを書いた時に、この曲をカバーしたフィル・コリンズのことを連想したと書いた。以下にその二曲を・・・・ つたない訳ながら。
♪TAKE ME HOME
Take that look of worry
I’m an ordinary man
They don’t tell me nothin’
So I find out all can
There’s fire that’s been burnin’
Right outside my door
I can’t see but I feel it
And it helps to keep me whole
悲しそうな顔をする
私は普通の人
誰も何も教えてくれない
自分に出来るこは自分で捜す
炎があがっている
ドアを出たすぐ右手に
見えなくとも感じるんだ
それが自分でいさせてくれる
Seems so long I been waitin’
Still don’t know what for
There no point this hating
I don’t worry anymore
I can come out to find you
I don’t like to go outside
They can’t turn off my feelings
Like they’re turnin’ off the light
長い間待っている
もう何を待っているかわからない
いくら憎んでもしょうがないし
どんなに悩んだったってしょうがない
君を捜しに出かけることが出来る
でも外に出かけたくない
誰も私の感情を消すことは出来ない
彼等が電灯のスイッチを切るように
Take that look of worry
Mine’s an ordinary life
Workin’ when it’s daylight
And sleepin’ when it’s night
I got no far horizon
I don’t wish upon a star
They don’t think that I listen
Oh but I know who they are,and
不安げな顔をするが
普通の人生を送っている
昼間働き
夜になると寝る
遠く地平線を望むことなく
星に願いをかけることもない
彼等は私が耳をそばだてているのを知らない
でも私は彼らのことを知っている
’Cause I don’t remember
Take,take me home
Oh Lord
Well I’ve been a prisoner all my life
And I can say to you
But I don’t remember
いずこが我が住みかが思い出せないから
家に連れて行ってくれ
主よ
生まれて以来煉獄にとらわれ続けてきた
これだけは言える
でも思い出せない
Take,take me home
’Cause I don’t remember
もう一曲が、
♪ANOTHER DAY IN PARADISE
She calls out to the man on the street
“sir,can you help me?
it’s cold,and I’ve nowhere to steep
is there somewhere you can tell me?”
彼女は道を行く人に呼びかける
「助けていただけませんか?
寒くて、寝る所もありません
何処か助けてくれる場所を教えてもらえませんか?」
He walks on,doesn’t look back
he pretends he can’t hear her
starts to whistle as he crosses the street
seems embarrased to be there
彼は振り返ることもなく歩き続ける
彼は彼女の声が聞こえないふりをする
道を横切ろうとすると口笛がこだまする
そこにいることを困惑しているように
Oh think twice,its another day for
you and me in paradise
Oh think twice,its just another day for you
you and me in paradise
よく考えてみよう
昨日は私もあなたもパラダイスにいたかもしれないと
よく考えてみよう
明日は私もあなたもパラダイスにいるかもしれないと
She calls out to the man on the street
he can see she’s been crying
she’s got blisters the soles of her feet
can’t walk,but she’s trying
彼女は道行く男に声をかける
彼には彼女が泣き続けていたの分かる
彼女の足の裏にはまめができていて
歩くことが出来ないでいる、でも歩こうとしている
Oh Lord,is there nothing more anybody can do
Oh Lord,there must be someting you can say
主よ、もうこれ以上人が出来ることは残されていない
主よ、何か言うべき事があるのではありまんか?
You can tell from the lines on her face
you can tell she’s been there
probably been moved on from every place
’cos she didn’t fit in there
あなたには彼女の顔に刻まれたシワからわかるはずだ
あなたには彼女がずっとそこにいたことが
多分アチラコチラ彷徨ってきたのだろう
なぜならどこにも安住の地はなかったのだから
手抜きのアナログ
2006-11-11
昨日は、アッチコッチに手紙を書いていた。その中で返事に窮する相手があって、結局そこだけはワープロで入力してプリントアウトして送ることになってしまった。初めは、手書きで何度か下書きの代わりのメモを作っていたのだけれど、どうもピントくるような内容が書けずにいたので、ついにパソコンで下書きをした。それすら書いたり消したりで、中々納得する内容にならなかった。先方には失礼な内容になったかもしれないけれど、いつまでたっても返事が書けそうになかったので、とりあえずプリントして送っておいた。悪しからず、ご容赦願いたい。
今TVで見ている(18:30より放送)テレビ愛知「遊びにいこ」で、あの双子の「まな・かな」が出ている。いつもは同じデザインの色違いの服を着ているのだか、今日は同じ灰色と黒のボーダーのタートルを着ていて、ぱっと見一体どっちがどっちだか分からなくなっている。
一般に一卵性双生児の場合、離れていても相手のことが分かったりするようである。片一方が買い物に出かけると、「リンゴを食べたがっている」とか。アメリカの例では、事情により別々の家庭の養子に行き、お互いの存在を知らずに育ちながら、後日再会すると同じような家庭を築いていたりする例の話を読んだことがある。
高校時代に二卵性の双子がいたけれど、性格は全く別だった。彼女達のように、打ち合わせをすることがないようなのに、二人の発言がシンクロしてしまうようなことはなかった。我々の世代には懐かしい、ザ・ピーナッツ以来かもしれない。彼女達のハーモニーが懐かしい。私にとっては彼女達のハーモニーが、一つの基準となっているような気がする。音楽は美しくなければならない。それがロックであろうとも。だから、ラップやヒップホップは嫌いである。エアロスミスの「WALK THIS WAY」は聞けるのだけれど・・・
それにしても、面倒なので普段は「休止モード」にしているのだけれど、少し休止時間が長くなると、すぐ挙動が遅くなるのはウインドーズの欠陥か。再起動しない、まともに動かない。やはり欠陥0Sのような気がする。これも再起動して、やっと入力できた。
今TVで見ている(18:30より放送)テレビ愛知「遊びにいこ」で、あの双子の「まな・かな」が出ている。いつもは同じデザインの色違いの服を着ているのだか、今日は同じ灰色と黒のボーダーのタートルを着ていて、ぱっと見一体どっちがどっちだか分からなくなっている。
一般に一卵性双生児の場合、離れていても相手のことが分かったりするようである。片一方が買い物に出かけると、「リンゴを食べたがっている」とか。アメリカの例では、事情により別々の家庭の養子に行き、お互いの存在を知らずに育ちながら、後日再会すると同じような家庭を築いていたりする例の話を読んだことがある。
高校時代に二卵性の双子がいたけれど、性格は全く別だった。彼女達のように、打ち合わせをすることがないようなのに、二人の発言がシンクロしてしまうようなことはなかった。我々の世代には懐かしい、ザ・ピーナッツ以来かもしれない。彼女達のハーモニーが懐かしい。私にとっては彼女達のハーモニーが、一つの基準となっているような気がする。音楽は美しくなければならない。それがロックであろうとも。だから、ラップやヒップホップは嫌いである。エアロスミスの「WALK THIS WAY」は聞けるのだけれど・・・
それにしても、面倒なので普段は「休止モード」にしているのだけれど、少し休止時間が長くなると、すぐ挙動が遅くなるのはウインドーズの欠陥か。再起動しない、まともに動かない。やはり欠陥0Sのような気がする。これも再起動して、やっと入力できた。
マコト先生の覚醒
2006-11-10
T−REXの名曲”METAL GURU”にちなむなら、私にとってマコト先生は”DIGITAL GURU”であらせられる。私が長きに渡って深く自身の中に沈潜して、社会の変化に興味を失った時期の最先端を、マコト先生は経験してこられた。以下はマコト先生の御託宣てある。共感する所が多々あるので、少々長くなりますがマコト先生のお言葉を勝手に引用した。許されたし。
↓
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
隊長もテンプレートを変更する必要もないですよ。ある程度見慣れたテンプレートの方が、親しみを覚えるとともにブログは内容がメインですからね。いくらテンプレートを変更したところで、内容が興味を引くものではないと意味が無いです。無理に興味を引くものである必要性はないので、自己満足としてはそれはそれでよいかと考えます。が、ブログをはじめる人にとっては少なからず仮想現実でのコミュニケーションを楽しむ点としては、積極的なアプローチがあるような、ないような感じですな。
現にアクセス数が多いブログやホームページは、テキストのみで繁盛してますもんね。わたしが見るところブログの多くは、記事が数行しかないものが多いように見受けられます。それと、前後の話がわからない、身近な人などしかワカラナイものが多いです。
これからの仮想現実のますますの発展が、従来のコミュニケーションに革命的なものをもたらすことは疑う余地がないと思われますが、ネットをよく利用する人でも1回に30程度のブログまたはサイトを目にすればよいほうです。ただ、個人が有用なブログにめぐり遭うことは難しいよなあああ。ブログに限れば、数は多いものの品質が悪いものが多いですもんね。
昨今の家庭用ゲームでもそうだけど、グラフィック重視で内容的にはいまいちです。グラフィックがよくなくても、内容がよければ売れるものです。まあ、今のゲームは昔と比べて専門的なゲームが多く、そのため難易度も高く、ゲームの操作を覚えるだけでも一苦労です。家族で、または誰にでも幅広く楽しめるゲームの理念も、忘れられているような気がします。
それが近年の任天堂の携帯ゲーム機の成功の一因でもあるのでしょう。ま、任天堂に限らず、過去のゲームの遺産で食いつないでるとこも多いですな。この現状がゲーム業界の不振の一因でもあります。娯楽の選択肢が広まったため、というのも事実ですが、過去に米国でアタリが失敗して任天堂が成功した一例をみる限りにおいても、ブログの衰退は近いうちに訪れるような気がします。その前兆現象が、SNS(ソーシャル・ネットワーキンング・サービス)で株式上場をはたしたミクシィの成功のカギではないのでしょうか。
仮想現実を求める人は潜在的に多いはずなんだけど、まだまだ思考錯誤の段階であります。隊長も新たな仮想現実でのコミュニケーション体系に挑戦してみてはいかがでしょうか。
オイラは適当なんでな〜、はは〜♪インターネットの掲示板「2ちゃんねる」や旧来からの掲示板は終焉を迎えようとしています。パソコン通信から、掲示板、メーリングリスト、ブログ、SNSと試行錯誤が続いています。社会的動物である人間にとって発展途上のおもしろい分野でありますし、隊長の心中穏やかならぬ現実に多少なりとも元気の源になるように・・・ね、ね。
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↑
以上です。時代の先端を、現に歩いてきた人の実感だと思います。これだけのことを書ける人が、周りから正等に評価されながったのは、不運としか言いようがないです。「バカ」だったのはマコト君ではなく、彼を評価しえなかった古い価値観の方ではなかったかと思います。すなわち、ネット社会の到来を予期も実感も出来ないような愚かさの。
ここFC2ブログは、100万件を越えたと浮かれているようだけれど、彼の言うがごとく、多数に読まれるのは一部のみで、大多数は大海原の藻屑になりそうな気がします。表現する行為は、その観賞者を必要とします。それが成り立たないとき、人々は離れていくことでしょう。
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隊長もテンプレートを変更する必要もないですよ。ある程度見慣れたテンプレートの方が、親しみを覚えるとともにブログは内容がメインですからね。いくらテンプレートを変更したところで、内容が興味を引くものではないと意味が無いです。無理に興味を引くものである必要性はないので、自己満足としてはそれはそれでよいかと考えます。が、ブログをはじめる人にとっては少なからず仮想現実でのコミュニケーションを楽しむ点としては、積極的なアプローチがあるような、ないような感じですな。
現にアクセス数が多いブログやホームページは、テキストのみで繁盛してますもんね。わたしが見るところブログの多くは、記事が数行しかないものが多いように見受けられます。それと、前後の話がわからない、身近な人などしかワカラナイものが多いです。
これからの仮想現実のますますの発展が、従来のコミュニケーションに革命的なものをもたらすことは疑う余地がないと思われますが、ネットをよく利用する人でも1回に30程度のブログまたはサイトを目にすればよいほうです。ただ、個人が有用なブログにめぐり遭うことは難しいよなあああ。ブログに限れば、数は多いものの品質が悪いものが多いですもんね。
昨今の家庭用ゲームでもそうだけど、グラフィック重視で内容的にはいまいちです。グラフィックがよくなくても、内容がよければ売れるものです。まあ、今のゲームは昔と比べて専門的なゲームが多く、そのため難易度も高く、ゲームの操作を覚えるだけでも一苦労です。家族で、または誰にでも幅広く楽しめるゲームの理念も、忘れられているような気がします。
それが近年の任天堂の携帯ゲーム機の成功の一因でもあるのでしょう。ま、任天堂に限らず、過去のゲームの遺産で食いつないでるとこも多いですな。この現状がゲーム業界の不振の一因でもあります。娯楽の選択肢が広まったため、というのも事実ですが、過去に米国でアタリが失敗して任天堂が成功した一例をみる限りにおいても、ブログの衰退は近いうちに訪れるような気がします。その前兆現象が、SNS(ソーシャル・ネットワーキンング・サービス)で株式上場をはたしたミクシィの成功のカギではないのでしょうか。
仮想現実を求める人は潜在的に多いはずなんだけど、まだまだ思考錯誤の段階であります。隊長も新たな仮想現実でのコミュニケーション体系に挑戦してみてはいかがでしょうか。
オイラは適当なんでな〜、はは〜♪インターネットの掲示板「2ちゃんねる」や旧来からの掲示板は終焉を迎えようとしています。パソコン通信から、掲示板、メーリングリスト、ブログ、SNSと試行錯誤が続いています。社会的動物である人間にとって発展途上のおもしろい分野でありますし、隊長の心中穏やかならぬ現実に多少なりとも元気の源になるように・・・ね、ね。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
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以上です。時代の先端を、現に歩いてきた人の実感だと思います。これだけのことを書ける人が、周りから正等に評価されながったのは、不運としか言いようがないです。「バカ」だったのはマコト君ではなく、彼を評価しえなかった古い価値観の方ではなかったかと思います。すなわち、ネット社会の到来を予期も実感も出来ないような愚かさの。
ここFC2ブログは、100万件を越えたと浮かれているようだけれど、彼の言うがごとく、多数に読まれるのは一部のみで、大多数は大海原の藻屑になりそうな気がします。表現する行為は、その観賞者を必要とします。それが成り立たないとき、人々は離れていくことでしょう。
名古屋語辞典 上 ver2.1
2006-11-10
◎ver2.1のひと言
第二版は、初め上下で公開しようとしたら大きすぎて後半部分が消えてしまった。それで上中下にしてみたけれど、上がまだ大きすぎたようである。疲れてそこでダウンしてしまった。また単語ごとに改行したのだけれど、かえって画面上では見づらく感じた。その部分を修正し、思いつかなかった用例を追加してみた。何より名古屋語の重要語で欠落していた、「けった」などを追加した。
上 あ〜お
中 か〜ほ
下 な〜ん
◎第二版のひと言
誰もが標準語もしくは共通語といい、標準弁とは言わない。したがって、名古屋弁ではなく名古屋語である。他国も博多語とか津軽語とすべきである。それぞれが独自の文化をもっていているのだから。

第二版は、初め上下で公開しようとしたら大きすぎて後半部分が消えてしまった。それで上中下にしてみたけれど、上がまだ大きすぎたようである。疲れてそこでダウンしてしまった。また単語ごとに改行したのだけれど、かえって画面上では見づらく感じた。その部分を修正し、思いつかなかった用例を追加してみた。何より名古屋語の重要語で欠落していた、「けった」などを追加した。
上 あ〜お
中 か〜ほ
下 な〜ん
◎第二版のひと言
誰もが標準語もしくは共通語といい、標準弁とは言わない。したがって、名古屋弁ではなく名古屋語である。他国も博多語とか津軽語とすべきである。それぞれが独自の文化をもっていているのだから。




