半裸のロイ
2007-10-31
ある所でコメントしているうちに思い出したシーンより。
大好きな映画「ブレードランナー」
原作 「電気仕掛けの羊は夢を見るか」
"DO ANDROIDS DREAM OF ELECTRIC SHEEP"
BY PHILIP K.DICK
ロイが当初の目的であった延命が不可能となり、最愛の恋人を殺され、
デッカードを助けた後の最後のロイの言葉より
I've...seen thing...
...you people wouldn't belive.
Attack ships on fire off the shoulder of Orion.
I watched C-beams...
...glitter in the dark near the Tannhauser Gate.
訳)
人間には信じられないような「モノ」を見てきた。
オリオン星座の近くで燃え上がる宇宙船
タンホイザー・ゲートの暗黒を背景とした光りの輝き。
All those...moments will be lost...
in time...
like tears...
in the rain.
Time...to die.
訳)
そんな記憶も消え去っていく
その時がくれば
雨の中で流す涙のように。
ロイが、死を受容した瞬間の言葉。
そこに至る背景で十字架を連想させる風車があり、釘に刺し貫かれた掌、雷鳴、教会の鐘の音、白い鳩(蛇足:マリアに処女受胎を告げに来た精霊)・・・
半裸のロイが白い鳩をつかんで腕を十字に組み、物思いに沈む。
つまり伝統的宗教画に見られる、精霊のシンボルである白い鳩を手にした半裸のイエスを連想させるシーンで語られる言葉。
大好きな映画「ブレードランナー」
原作 「電気仕掛けの羊は夢を見るか」
"DO ANDROIDS DREAM OF ELECTRIC SHEEP"
BY PHILIP K.DICK
ロイが当初の目的であった延命が不可能となり、最愛の恋人を殺され、
デッカードを助けた後の最後のロイの言葉より
I've...seen thing...
...you people wouldn't belive.
Attack ships on fire off the shoulder of Orion.
I watched C-beams...
...glitter in the dark near the Tannhauser Gate.
訳)
人間には信じられないような「モノ」を見てきた。
オリオン星座の近くで燃え上がる宇宙船
タンホイザー・ゲートの暗黒を背景とした光りの輝き。
All those...moments will be lost...
in time...
like tears...
in the rain.
Time...to die.
訳)
そんな記憶も消え去っていく
その時がくれば
雨の中で流す涙のように。
ロイが、死を受容した瞬間の言葉。
そこに至る背景で十字架を連想させる風車があり、釘に刺し貫かれた掌、雷鳴、教会の鐘の音、白い鳩(蛇足:マリアに処女受胎を告げに来た精霊)・・・
半裸のロイが白い鳩をつかんで腕を十字に組み、物思いに沈む。
つまり伝統的宗教画に見られる、精霊のシンボルである白い鳩を手にした半裸のイエスを連想させるシーンで語られる言葉。
母を入院させてきた
2007-10-30
今日は11月1日の私の入院に備えて、前から母の主治医にお願いしてあったように、母を入院させてきた。ケアマネさんに、なるべく母が混乱しないように馴染みの病棟がいいとお願いしてあった。
一番母と相性が良かった病棟は無理だったようだけれど、前回と同じ病棟に入院できた。病室も同じところにうまく入れた。お年寄り用に部屋の入り口にグーフィーと造花があるのを、母も覚えていた。
車椅子に乗って、リフトタクシーで病院まで出かけたので、到着してからグッタリしていた。昼食は起きられないので、食べさせてやった。
その後浣腸をしてもらってから体調がよくなったのか、夕食は体を起こして食べれていた。
お隣のベッドの人と会話したり、前回同室だった人が別の病棟に再入院していて、夕方訪ねてくれたりしたので、母はどうにかこうにか落ち着いたようである。
とりあえず、夜起こされることがなくなったので一安心である。明日は、11月1日の入院に備えて準備をしなければならない。ほとんどの作業は、私が退院してきたも、暫くは楽ができるように家の中を掃除して片付けたり、アレコレ買い置きをしておかねばならない。
右の背中を切開するので、暫くは右手の動きに制約があったり、力が入らなかったり、愛用のリュックで重たい買い物を背負えなかったりするかもしれないので。
順調なら、11月5日に手術して、それから二週間ぐらいで退院できるヨ予定であるが・・・どうなることやら。
一番母と相性が良かった病棟は無理だったようだけれど、前回と同じ病棟に入院できた。病室も同じところにうまく入れた。お年寄り用に部屋の入り口にグーフィーと造花があるのを、母も覚えていた。
車椅子に乗って、リフトタクシーで病院まで出かけたので、到着してからグッタリしていた。昼食は起きられないので、食べさせてやった。
その後浣腸をしてもらってから体調がよくなったのか、夕食は体を起こして食べれていた。
お隣のベッドの人と会話したり、前回同室だった人が別の病棟に再入院していて、夕方訪ねてくれたりしたので、母はどうにかこうにか落ち着いたようである。
とりあえず、夜起こされることがなくなったので一安心である。明日は、11月1日の入院に備えて準備をしなければならない。ほとんどの作業は、私が退院してきたも、暫くは楽ができるように家の中を掃除して片付けたり、アレコレ買い置きをしておかねばならない。
右の背中を切開するので、暫くは右手の動きに制約があったり、力が入らなかったり、愛用のリュックで重たい買い物を背負えなかったりするかもしれないので。
順調なら、11月5日に手術して、それから二週間ぐらいで退院できるヨ予定であるが・・・どうなることやら。
FC2サーバー様も大忙し?
2007-10-29
昨日は午前中から出かけてきて、夕方帰宅して楽しかった一日のことをブログの更新をしようとしたら、FC2のサーバー様が大忙しのようで、全く更新できなかった。
自分のブログを見ることはできるのだけれど、管理ページに全くアクセスできなかった。時間をあけて試しても、全く駄目だった。何処かの誰かからの、サイバー攻撃でも受けたのだろうか???
繋がる前に、酔いで寝てしまった。そんなわけで、昨日の出来事を後ほど記事にしようかと思っている。
自分のブログを見ることはできるのだけれど、管理ページに全くアクセスできなかった。時間をあけて試しても、全く駄目だった。何処かの誰かからの、サイバー攻撃でも受けたのだろうか???
繋がる前に、酔いで寝てしまった。そんなわけで、昨日の出来事を後ほど記事にしようかと思っている。
久しぶりに・・・
2007-10-27
今日は台風の影響なのか、体調がすぐれない。朝からカァ〜として額に汗がにじんむので着替えたり、今度はゾクゾクするので又着替えたりしている。一日中着せ替え人形状態である。
どうも久々の更年期障害のようである。
手術前に風邪をひかないように気をつけなければならない。
先日から集中力がなく、一連の亀田家騒動や、あきれた赤福問題について書こうとしたのだけれど、どちらも中途半端なままほったらかしにしてある。
またゾクゾクしてきたので、Tシャツを薄手のハイネックの長袖に着替えなくては・・・
どうも久々の更年期障害のようである。
手術前に風邪をひかないように気をつけなければならない。
先日から集中力がなく、一連の亀田家騒動や、あきれた赤福問題について書こうとしたのだけれど、どちらも中途半端なままほったらかしにしてある。
またゾクゾクしてきたので、Tシャツを薄手のハイネックの長袖に着替えなくては・・・
ドタバタ
2007-10-25
昨日今日と、急に決まった私の手術日に備えてアタフタしていた。
昨日は朝一で東名古屋病院に行って、主治医にこれまでの経過と手術日が決まったことを報告して、在宅酸素の手続きをしきた。
その帰り道、平針のユーシャレオで一昨日母が汚して廃棄したパジャマとシーツを補充した。次いでブックオフを覗いてCD三枚購入して、急ぎ家路についた。
タクシーと地下鉄を組み合わせて、何とか昼食前に帰宅できた。母の昼食用に用意した弁当を見ると、昼前からオカズをつまみ食いしていたようである。私は途中のコンビニで買った冷凍の味噌煮込みうどんを一緒に食べた。
さすがに特急で病院の往復をこなしたので、その後は自分の布団で休んでいた。その間に、買ってきたCDをPCに取り込んでMP3に入れたりしていた。
今朝は訪問看護が終わって、昼食に暖かい冷麦を母と食べたあと、ケアマネさんの所へ顔を出しに行ってきて、今後のことを頼んできた。
次いで同じ建物の中で長年母と一緒にボランティアをしているIさんを訪ねた。今月は娘さんの出産があって、しばらくお休みしていた。たまたま今日からボランティアに復帰していた。こちらにも母のことを頼んできた。
それから先日連絡があった母と同室で仲良くしてもらっていたカヨチャンが再入院しているので、病室を訪ねてみた。たまたま病室にいなかったので、メモを残して病院を後にした。
病院近くのSEIYUで晩ご飯の買い物をしてタクシーで帰ってきた。ちなみに今晩は、タラコと昆布をあっさり煮付けたものと、絹サヤの炒め物に梅干だった。
夜になってカヨチャンの携帯に電話して、母と会話してもらった。その後A嬢からメールがきたり、弟に母の入院日が決まったとメールしたりしていた。週末A嬢と会うことになり、弟が家に来る時間など調節した。
昨日は朝一で東名古屋病院に行って、主治医にこれまでの経過と手術日が決まったことを報告して、在宅酸素の手続きをしきた。
その帰り道、平針のユーシャレオで一昨日母が汚して廃棄したパジャマとシーツを補充した。次いでブックオフを覗いてCD三枚購入して、急ぎ家路についた。
タクシーと地下鉄を組み合わせて、何とか昼食前に帰宅できた。母の昼食用に用意した弁当を見ると、昼前からオカズをつまみ食いしていたようである。私は途中のコンビニで買った冷凍の味噌煮込みうどんを一緒に食べた。
さすがに特急で病院の往復をこなしたので、その後は自分の布団で休んでいた。その間に、買ってきたCDをPCに取り込んでMP3に入れたりしていた。
今朝は訪問看護が終わって、昼食に暖かい冷麦を母と食べたあと、ケアマネさんの所へ顔を出しに行ってきて、今後のことを頼んできた。
次いで同じ建物の中で長年母と一緒にボランティアをしているIさんを訪ねた。今月は娘さんの出産があって、しばらくお休みしていた。たまたま今日からボランティアに復帰していた。こちらにも母のことを頼んできた。
それから先日連絡があった母と同室で仲良くしてもらっていたカヨチャンが再入院しているので、病室を訪ねてみた。たまたま病室にいなかったので、メモを残して病院を後にした。
病院近くのSEIYUで晩ご飯の買い物をしてタクシーで帰ってきた。ちなみに今晩は、タラコと昆布をあっさり煮付けたものと、絹サヤの炒め物に梅干だった。
夜になってカヨチャンの携帯に電話して、母と会話してもらった。その後A嬢からメールがきたり、弟に母の入院日が決まったとメールしたりしていた。週末A嬢と会うことになり、弟が家に来る時間など調節した。
急転直下
2007-10-23
今日は、名大病院の耳鼻科と呼吸器外科の診察に行ってきた。予約の時間的順番で、耳鼻科の方が先だった。名前を呼ばれて診察室に入ると、大先生のF先生が電子カルテを覗きつつ病院内の連絡用のPHSで呼吸器外科のU先生に連絡をしだした。
そしたら何と驚くことに、手術日は11月5日でどうかという話になった。先週の呼吸器外科の診察では来月26日、早くてもそれの一週間前ぐらいで、11月上旬は一杯で無理との話だった。もちろんせっかくのチャンスなので、すかさずOKした。
その後F先生とは、先週受けた麻酔科のことが話題になった。口も開けられるし、首も後ろへ曲がるので、一応OKもらえたようだと報告した。懸念されたように気管挿管するときに、問題が有りそうとあわせて報告した。
丁度その日は形成外科の応援の手術があるようだけれど、私の手術への耳鼻科の立会いを「何とかします」とF先生はU先生に電話で話していた。F先生は完全な外科タイプの人なので、こと手術の話になると一段と気合が入って、特徴的なレーザービームのような視線になる。あの亡くなったポリさんのT氏をして、F先生の視線に負けないように先生の目を見つめ返すのだけれどかなわないといっていたあの視線である。今日F先生はそんな目をしてご機嫌だったので、何か難しい手術の患者の緊急入院があったのかもしれない。
10月中かかって手術に必要な検査や麻酔科を受診していたので、キャンセルがあった所へ押し込んでもらえたようであった。先生の尻を叩くような感じて各種検査を済ませていたかいがあったようである。こうなると先週末坊主頭にしたことさえ、手術に向けた準備になっていたようである。ユングがいうところの、「コンステレーション」のようである。
相変らず忙しい呼吸器外科の診察は一時間以上遅れたけれど、そんなことでU先生の診察前には全てが決まってしまったので、麻酔科の様子を報告しただけで終わった。今日の外来当番の看護師さんは耳鼻科で顔見知りの子であった。それさえも「コンステレーション」のようであった。それから入院手続きの部屋を訪れで、入院に必要な書類一式をもらって会計を済ませて、耳鼻科の病棟のナースステーションを訪れて、師長さんに顛末を報告してきた。外来に誰が来ているかチェックしているようで、報告に行ったときにはカルテを丁度覗いたばかりのようで手術日のこともご存知だった。また入院したときには顔を出すように言われた。
病院の帰り道、さっそく母のケアマネに連絡を入れて、手術日等を伝えた。家に帰ったら彼女から連絡があって、さっそく母の主治医に連絡してもらえて、以前からお願いしてあったように母の面倒を見てもらえることになった。日程の調整はこれからである。
母の夕食の準備をしようとしたら、A嬢のオッカァから電話があって入院前に皆と会うことになった。
私と母の入院準備で、大忙しとなりそうな1週間である。私の準備ともかく、寒くなってきたので母の入院準備に手間取りそうである。冬用の準備をしないといけないし。
そうそう、診察後食事をして買い物をして帰宅したら、母のベッドが大変なことになっていた。用心して、出かける前に浣腸していったのだけれど、よりによって親父が家を開けた間に追加が出てしまったようでシーツまで汚れていた。まったく役に立たないオヤジである。
ということで、マコト君よ一緒に遊びに行くのは、先になりそうです。
saよ、残念ながら名古屋めしをご案内できなくなりました。
以上、ご了解願います。
そしたら何と驚くことに、手術日は11月5日でどうかという話になった。先週の呼吸器外科の診察では来月26日、早くてもそれの一週間前ぐらいで、11月上旬は一杯で無理との話だった。もちろんせっかくのチャンスなので、すかさずOKした。
その後F先生とは、先週受けた麻酔科のことが話題になった。口も開けられるし、首も後ろへ曲がるので、一応OKもらえたようだと報告した。懸念されたように気管挿管するときに、問題が有りそうとあわせて報告した。
丁度その日は形成外科の応援の手術があるようだけれど、私の手術への耳鼻科の立会いを「何とかします」とF先生はU先生に電話で話していた。F先生は完全な外科タイプの人なので、こと手術の話になると一段と気合が入って、特徴的なレーザービームのような視線になる。あの亡くなったポリさんのT氏をして、F先生の視線に負けないように先生の目を見つめ返すのだけれどかなわないといっていたあの視線である。今日F先生はそんな目をしてご機嫌だったので、何か難しい手術の患者の緊急入院があったのかもしれない。
10月中かかって手術に必要な検査や麻酔科を受診していたので、キャンセルがあった所へ押し込んでもらえたようであった。先生の尻を叩くような感じて各種検査を済ませていたかいがあったようである。こうなると先週末坊主頭にしたことさえ、手術に向けた準備になっていたようである。ユングがいうところの、「コンステレーション」のようである。
相変らず忙しい呼吸器外科の診察は一時間以上遅れたけれど、そんなことでU先生の診察前には全てが決まってしまったので、麻酔科の様子を報告しただけで終わった。今日の外来当番の看護師さんは耳鼻科で顔見知りの子であった。それさえも「コンステレーション」のようであった。それから入院手続きの部屋を訪れで、入院に必要な書類一式をもらって会計を済ませて、耳鼻科の病棟のナースステーションを訪れて、師長さんに顛末を報告してきた。外来に誰が来ているかチェックしているようで、報告に行ったときにはカルテを丁度覗いたばかりのようで手術日のこともご存知だった。また入院したときには顔を出すように言われた。
病院の帰り道、さっそく母のケアマネに連絡を入れて、手術日等を伝えた。家に帰ったら彼女から連絡があって、さっそく母の主治医に連絡してもらえて、以前からお願いしてあったように母の面倒を見てもらえることになった。日程の調整はこれからである。
母の夕食の準備をしようとしたら、A嬢のオッカァから電話があって入院前に皆と会うことになった。
私と母の入院準備で、大忙しとなりそうな1週間である。私の準備ともかく、寒くなってきたので母の入院準備に手間取りそうである。冬用の準備をしないといけないし。
そうそう、診察後食事をして買い物をして帰宅したら、母のベッドが大変なことになっていた。用心して、出かける前に浣腸していったのだけれど、よりによって親父が家を開けた間に追加が出てしまったようでシーツまで汚れていた。まったく役に立たないオヤジである。
ということで、マコト君よ一緒に遊びに行くのは、先になりそうです。
saよ、残念ながら名古屋めしをご案内できなくなりました。
以上、ご了解願います。
「EMOBILE」の使い心地
2007-10-22
先日より使い始めた「EMOBILE」であるが、あのトロクサイ「Air−H」に比べたら格段のスピードであるが、光り通信に比べればまだまだの感が強い。まぁ通信速度に関しては、その通信速度改善に関する技術進歩は著しくて日進月歩だから、早晩無線通信も「今」に追いつくことと思われる。
今のところ使っていて問題なのは、想像するにビジー状態になると、サーバーにより勝手に通信が切られてしまうことである。「うぅ〜〜〜ん」とページを読んでいて、いざ次に進もうとた時に通信がきれていることがあったりする。二十四時間接続したままにしておくのには通信回線が足りないよに想像される。
コンピーターのスペックに関しては、マニュアルの半分ぐらいであるのはよく承知していたけれど、EMOBILLEのうたい文句ほどのスピードは期待できないようである。だったら「嘘」を宣伝するな、と言いたい。前提となる理想的な環境など、一般の使用環境では実現不可能なのだから。
今のところ使っていて問題なのは、想像するにビジー状態になると、サーバーにより勝手に通信が切られてしまうことである。「うぅ〜〜〜ん」とページを読んでいて、いざ次に進もうとた時に通信がきれていることがあったりする。二十四時間接続したままにしておくのには通信回線が足りないよに想像される。
コンピーターのスペックに関しては、マニュアルの半分ぐらいであるのはよく承知していたけれど、EMOBILLEのうたい文句ほどのスピードは期待できないようである。だったら「嘘」を宣伝するな、と言いたい。前提となる理想的な環境など、一般の使用環境では実現不可能なのだから。
大忙し その三 (K から M へ)
2007-10-20
昨日金曜日も、朝から大忙しであった。麻酔科の外来の予定になっていた。麻酔科の外来はすぐ終わってしまうので、九時前に病院に到着しないといけない。だから六時半から母の朝食の準備をして、少し早目に食事してもらって、前回病院に診察に出かけたときに母が便意を催して大変でったので、浣腸してから出かけることにした。
ついでに買い物もしたかったので、昼食の弁当を用意した。そんなコンナを、八時までに片付けて病院に向った。タイミング悪く、バスがすぐ来なかったのでタクシーを利用した。そしたら昨日から名古屋のタクシーは、新しいメーターに変更になっていた。料金としては、ほとんど同じくらいだった。朝なので、道も混んでいたし。
病院に到着して受付機に診察券を通したのだけれど、「予約がはいっとらぁせん」と表示されるので、予約表を持って直接麻酔科の窓口をたずねた。受付で予約表を見せて、受診手続きをしてもらった。
受診したのは、女医さんで美人だった。口から喉にかけてかなり「改造」されているので、手術には普通より手間がかかりそうであった。肺の手術なので、太目のパイプを入れないといいけないようだから。口の中の様子や、首が後ろにどのくらい曲がるか調べられた。後ろへもチャンと曲がるので、問題ないとの事であった。詳しい麻酔の手順に関しては、手術前に担当する医師から説明があるとのことで、診察は終了した。それが九時を少しまわったぐらいだった。
母の携帯に電話して様子を聞くと、問題ないとのことなので帰り道に買い物をしていくことにした。開店まで時間があったので、店の近くのコメダでアイス・ミルクティーを飲みつつ、新聞と雑誌を眺めて過ごした。十時になって食料品などを調達して、店内の電気店で、昨日電気剃刀を充電中に踏んづけてしまって口が壊れた延長コードとプリンターのインクの補充をした。ついでに携帯売り場を覗いたら「EMOBILE」も扱っていたので、購入することにしてきた。開通するまでの時間を利用して、二階の喫食コーナーで、温玉ラーメンを食べた。食べ終わる頃には、昼食時間となり人が並ぶようになっていた。
再度携帯コーナーを訪れると、「今日は混んでいるようなので、もう少しかかりそうです」との事なので、一度買ったものを家にもって行くことにした。弁当を食べ終わった母の様子が安定しているのを確認して、再度受け取りに出かけた。その時には、天気予報通りの雨空となった。
濡れない様に持ち帰り、簡単設定の案内にサット目を通しつつ、Air−Hを取り外し、設定用CD−Rを読み込ませて順じクリックして手続きを終了。再起動後、本体を挿入して試してみた。格段にスピードアップしたわけではないけれど、重たいページや動画などをストレスなく閲覧できるようになった。肺がんが見つかってからネットでアレコレ勉強してきたのだけれど、時に読み込むのに時間がかかるようなページがあったりして、集中力をそがれることが度々あった。
幾つかの通信速度の測定を試してみたところでは、平均して上りが500Kで下りが1.2Mほどであった。アンテナ状態表示も二本立っているので、切れたりすることもないようである。マァやっとこれで、「KからMへバージョンアップ」して、『今』に少しは近づけたようである。
最終チェックに、最近とみに重たくなってきているマコト君のところを覗いてみた。「沢山貼り付けられた写真や動画も、見やすくなったヨ」と、マコト先生に報告しておく。何だかこのところ家からネット出来ないと書いてあったわりに、記事の内容は豊橋の秋祭りの様子で充実しているようである。回復したのだろうか???
母の夕食には、鱈と白菜とエノキの小鍋じたてを、ポン酢醤油で食べるようにした。半分ほどは起きて食べていたけれど、残りは食べさせてやった。やはり雨空だったので、腰の調子がイマイチのようであった。
その後、シャワーを浴びた。今日で手術の準備に必要な検査などは全部終了したので、舌ガン前に購入してあった家庭用バリカンで、風呂場で12ミリの坊主頭にした。ネット環境も新しくなったことだし、気分一新であ。風呂上りに母に頭を見せると、笑われた。ついでに「さわらせろ」というので、頭を撫でられた。
ついでに買い物もしたかったので、昼食の弁当を用意した。そんなコンナを、八時までに片付けて病院に向った。タイミング悪く、バスがすぐ来なかったのでタクシーを利用した。そしたら昨日から名古屋のタクシーは、新しいメーターに変更になっていた。料金としては、ほとんど同じくらいだった。朝なので、道も混んでいたし。
病院に到着して受付機に診察券を通したのだけれど、「予約がはいっとらぁせん」と表示されるので、予約表を持って直接麻酔科の窓口をたずねた。受付で予約表を見せて、受診手続きをしてもらった。
受診したのは、女医さんで美人だった。口から喉にかけてかなり「改造」されているので、手術には普通より手間がかかりそうであった。肺の手術なので、太目のパイプを入れないといいけないようだから。口の中の様子や、首が後ろにどのくらい曲がるか調べられた。後ろへもチャンと曲がるので、問題ないとの事であった。詳しい麻酔の手順に関しては、手術前に担当する医師から説明があるとのことで、診察は終了した。それが九時を少しまわったぐらいだった。
母の携帯に電話して様子を聞くと、問題ないとのことなので帰り道に買い物をしていくことにした。開店まで時間があったので、店の近くのコメダでアイス・ミルクティーを飲みつつ、新聞と雑誌を眺めて過ごした。十時になって食料品などを調達して、店内の電気店で、昨日電気剃刀を充電中に踏んづけてしまって口が壊れた延長コードとプリンターのインクの補充をした。ついでに携帯売り場を覗いたら「EMOBILE」も扱っていたので、購入することにしてきた。開通するまでの時間を利用して、二階の喫食コーナーで、温玉ラーメンを食べた。食べ終わる頃には、昼食時間となり人が並ぶようになっていた。
再度携帯コーナーを訪れると、「今日は混んでいるようなので、もう少しかかりそうです」との事なので、一度買ったものを家にもって行くことにした。弁当を食べ終わった母の様子が安定しているのを確認して、再度受け取りに出かけた。その時には、天気予報通りの雨空となった。
濡れない様に持ち帰り、簡単設定の案内にサット目を通しつつ、Air−Hを取り外し、設定用CD−Rを読み込ませて順じクリックして手続きを終了。再起動後、本体を挿入して試してみた。格段にスピードアップしたわけではないけれど、重たいページや動画などをストレスなく閲覧できるようになった。肺がんが見つかってからネットでアレコレ勉強してきたのだけれど、時に読み込むのに時間がかかるようなページがあったりして、集中力をそがれることが度々あった。
幾つかの通信速度の測定を試してみたところでは、平均して上りが500Kで下りが1.2Mほどであった。アンテナ状態表示も二本立っているので、切れたりすることもないようである。マァやっとこれで、「KからMへバージョンアップ」して、『今』に少しは近づけたようである。
最終チェックに、最近とみに重たくなってきているマコト君のところを覗いてみた。「沢山貼り付けられた写真や動画も、見やすくなったヨ」と、マコト先生に報告しておく。何だかこのところ家からネット出来ないと書いてあったわりに、記事の内容は豊橋の秋祭りの様子で充実しているようである。回復したのだろうか???
母の夕食には、鱈と白菜とエノキの小鍋じたてを、ポン酢醤油で食べるようにした。半分ほどは起きて食べていたけれど、残りは食べさせてやった。やはり雨空だったので、腰の調子がイマイチのようであった。
その後、シャワーを浴びた。今日で手術の準備に必要な検査などは全部終了したので、舌ガン前に購入してあった家庭用バリカンで、風呂場で12ミリの坊主頭にした。ネット環境も新しくなったことだし、気分一新であ。風呂上りに母に頭を見せると、笑われた。ついでに「さわらせろ」というので、頭を撫でられた。
今日も大忙し
2007-10-18
今日も大忙しの一日だった。まずは、今日一番のサプライズから。
忙しい一日の家事の終わろうとする夜七時半ごろ、母の食事の後片付けをしていたら「ピンポーン」と玄関のチャイムが鳴り、クール宅急便が届いた。何と先日お会いしたsaさんからの荷物だった。
届いたのは仙台名物「ずんだ餅」だった。それも冷凍品として。


「ずんだ餅」とは、枝豆を荒くすりつぶして、餅にからめた物である。ご存じない人なら、小豆の替わりに緑の枝豆をまぶした物と思えばいい。初めて仙台でこれを食べた時のショックは、忘れられない。その鮮やかな緑色に、その食感に、その香りに。
ついでに仙台時代食べたかの地の名産品で、今でも鮮烈な記憶が残っているのが、三陸名産「ホヤ」である。高校の友人宅に泊まったとき、朝食に「ホヤの酢の物」が出た。父方の故郷は、岩手県宮古市だけど、祖父母が海産物があまり好きでなかったせいもあり、それまで食べたことがなかった。あの磯の香りは、好きな人にとってたまらないものがあるのだろうけれど、私は苦手である。その磯の香りと、コリコリした食感がどうも私は苦手であった。
お送りしていただいた「ずんだ餅」は、弟がわが家に顔を見せた時に、一緒に食べようかと母と話しています。あの頃を懐かしみながら。四つ年下の弟だけれど、ある場面では私より昔のことをよく覚えています。「○○だったじゃないか」と彼に言われて、「そうだたっけ」というのがいつものパターンです。
saよ、どうも有難う御座いました。貴女といい、弟といい、私より昔を覚えているのに、感心するばかりです。
諸般の事情で、自分ではなんとも仕様のない「別れ」を経験してきたので、誰とでも親しくなれるけれど、長く続かない人生でした。自分からは、一度出来た繋がりを大事にしようとしてこなかった。今のようにコミュニケーション手段が豊富でなかった時代の子供にとっては。
それは、あのベトナム戦争を描いた映画を見れば、よくあるシーンに、ベテランの兵士が新米兵士の名前を覚えようとしないのと同じ感覚です。なぜなら、すぐに別れが来てしまうから。
そして無宗教な私だけれど、「縁」があるのなら又いつの日にか会えることを信じてきました。そんな偶然の再会も経験したことかある。神を信じらないが、「出会い」の不可思議さを認めているから。
閑話休題
午前中は、母の訪問看護があった。何人かが、かわりばんこに訪問してくれる。母も、そんな彼女達との会話を楽しみにしている。母のキャラクターもあるのか、皆よくお喋りしていく。こちらもゴチャゴチャ注文をしないし、私がいるときにはお湯を用意したり、後片付けを手伝ったりしている。他の家ではどうか知らないけれど、少しの手助けで彼女達の看護に余裕が出来るので、会話する気持ちのユトリが生まれるようである。
昨日排便しなかったので、今日は沢山出してもらった。訪問看護が終了して暫くしたら、昼食の用意をした。昼食後は、私が使っている在宅酸素の機械と携帯酸素ボンベの定期点検に、帝人在宅医療(株)の担当のY君が来た。こちらの病状を話し、今後のことを打ち合わせておいた。
ついで四時過ぎに、母の往診に主治医のE先生に来訪していただいた。あわせて、私の今後の予定などを報告しておいた。私の入院時には、母も入院させてもらうことになっている。何故なら、親父では母の面度をみられないから。親父が母の面倒をみるなら、すぐに八事行き(名古屋で唯一の火葬場)になってしまうのを、ケアマネや訪問看護の看護師さんたち、そして主治医など、親父本人以外の皆が知っている。
それから夕食の買出しと、介護に必要なゴム手袋を補充したり、母用の湿布薬を買ってきたりした。
今日は「秋刀魚」の生きのいいのがあったので、それで焼き魚にして大根おろしで食べさせようとしたのだけれど、その秋刀魚を魚焼きの網で焼こうとしたら、あまりの脂に煙が凄くて上手く焼けなかった。魚焼きグリルがあるのだけれど、クソッタレ親父か魚を焼くと、受け皿に水を張らないし、まして使った後洗わないのでとても使う気にならない。いつもは匂いがひどくなると、漂白剤の泡を振りかけて洗っている。馬鹿らしくて、洗う気にならない。いくらきれいにしても、汚されるだけだから。
急遽予定を変更して、母の晩ご飯は、冷凍してあった「海老餃子」をフライパンで焼いてメインとした。それ以外は、冬瓜汁と秋刀魚用に用意してあった大根おろし。それとカット西瓜を少々。
平凡だけれど、忙しい一日だった。
忙しい一日の家事の終わろうとする夜七時半ごろ、母の食事の後片付けをしていたら「ピンポーン」と玄関のチャイムが鳴り、クール宅急便が届いた。何と先日お会いしたsaさんからの荷物だった。
届いたのは仙台名物「ずんだ餅」だった。それも冷凍品として。


「ずんだ餅」とは、枝豆を荒くすりつぶして、餅にからめた物である。ご存じない人なら、小豆の替わりに緑の枝豆をまぶした物と思えばいい。初めて仙台でこれを食べた時のショックは、忘れられない。その鮮やかな緑色に、その食感に、その香りに。
ついでに仙台時代食べたかの地の名産品で、今でも鮮烈な記憶が残っているのが、三陸名産「ホヤ」である。高校の友人宅に泊まったとき、朝食に「ホヤの酢の物」が出た。父方の故郷は、岩手県宮古市だけど、祖父母が海産物があまり好きでなかったせいもあり、それまで食べたことがなかった。あの磯の香りは、好きな人にとってたまらないものがあるのだろうけれど、私は苦手である。その磯の香りと、コリコリした食感がどうも私は苦手であった。
お送りしていただいた「ずんだ餅」は、弟がわが家に顔を見せた時に、一緒に食べようかと母と話しています。あの頃を懐かしみながら。四つ年下の弟だけれど、ある場面では私より昔のことをよく覚えています。「○○だったじゃないか」と彼に言われて、「そうだたっけ」というのがいつものパターンです。
saよ、どうも有難う御座いました。貴女といい、弟といい、私より昔を覚えているのに、感心するばかりです。
諸般の事情で、自分ではなんとも仕様のない「別れ」を経験してきたので、誰とでも親しくなれるけれど、長く続かない人生でした。自分からは、一度出来た繋がりを大事にしようとしてこなかった。今のようにコミュニケーション手段が豊富でなかった時代の子供にとっては。
それは、あのベトナム戦争を描いた映画を見れば、よくあるシーンに、ベテランの兵士が新米兵士の名前を覚えようとしないのと同じ感覚です。なぜなら、すぐに別れが来てしまうから。
そして無宗教な私だけれど、「縁」があるのなら又いつの日にか会えることを信じてきました。そんな偶然の再会も経験したことかある。神を信じらないが、「出会い」の不可思議さを認めているから。
閑話休題
午前中は、母の訪問看護があった。何人かが、かわりばんこに訪問してくれる。母も、そんな彼女達との会話を楽しみにしている。母のキャラクターもあるのか、皆よくお喋りしていく。こちらもゴチャゴチャ注文をしないし、私がいるときにはお湯を用意したり、後片付けを手伝ったりしている。他の家ではどうか知らないけれど、少しの手助けで彼女達の看護に余裕が出来るので、会話する気持ちのユトリが生まれるようである。
昨日排便しなかったので、今日は沢山出してもらった。訪問看護が終了して暫くしたら、昼食の用意をした。昼食後は、私が使っている在宅酸素の機械と携帯酸素ボンベの定期点検に、帝人在宅医療(株)の担当のY君が来た。こちらの病状を話し、今後のことを打ち合わせておいた。
ついで四時過ぎに、母の往診に主治医のE先生に来訪していただいた。あわせて、私の今後の予定などを報告しておいた。私の入院時には、母も入院させてもらうことになっている。何故なら、親父では母の面度をみられないから。親父が母の面倒をみるなら、すぐに八事行き(名古屋で唯一の火葬場)になってしまうのを、ケアマネや訪問看護の看護師さんたち、そして主治医など、親父本人以外の皆が知っている。
それから夕食の買出しと、介護に必要なゴム手袋を補充したり、母用の湿布薬を買ってきたりした。
今日は「秋刀魚」の生きのいいのがあったので、それで焼き魚にして大根おろしで食べさせようとしたのだけれど、その秋刀魚を魚焼きの網で焼こうとしたら、あまりの脂に煙が凄くて上手く焼けなかった。魚焼きグリルがあるのだけれど、クソッタレ親父か魚を焼くと、受け皿に水を張らないし、まして使った後洗わないのでとても使う気にならない。いつもは匂いがひどくなると、漂白剤の泡を振りかけて洗っている。馬鹿らしくて、洗う気にならない。いくらきれいにしても、汚されるだけだから。
急遽予定を変更して、母の晩ご飯は、冷凍してあった「海老餃子」をフライパンで焼いてメインとした。それ以外は、冬瓜汁と秋刀魚用に用意してあった大根おろし。それとカット西瓜を少々。
平凡だけれど、忙しい一日だった。
大忙し
2007-10-17
昨日は名大病院の呼吸器外科の外来に行ってきた。先週行なった各種検査の結果、全身状態は手術に耐えられそうとのことであた。今週中に麻酔科の診察を受ければ、手術の準備は終了となる。これが一番の関門なのだけれど・・・つまり私のような肺の状態だと、もっとサーチレーションが悪くて、酸素ボンベを携帯していなればならないのが普通である。いい意味で、肺機能と、血中酸素濃度がアンバランスなので、麻酔科の先生にとってそのことが納得いかず、前回の手術の前にはドタバタした。今回もそうならないことを祈るばかりである。
何せ前回は、手術前に肺機能検査を二回もして、検査技師さんもこんなことは初めてだと言っていたのを覚えている。一応一生懸命リハビリして、何とか今の状態になったのだが・・・ ある意味で私のような状態は、例外的存在である。
具体的日程としては、来月26日が第一候補となった。それ以前にキャンセルがあれば、もう少し早まるとの事であったが、十一月中旬より早くなる事はなさそうである。
そんな診察が昼過ぎに終了したので、弁当を置いて出かけてきた母の携帯に、昼ご飯を食べたかどうか電話してみた。そしたら何と、「う○○○」がしたい、と言うのでタクシーに飛び乗って帰宅した。がぁぁぁぁぁ、間に合わなかった。
紙オシメをしているので、じっとしていてくれればよかったのだけれど、親父も出かけていて一人だったので、アタフタしたせいで紙おむつがすれで、背中の方が汚れてしまった。シーツやパジャマの背中側が汚れてしまった。
一人でいて体を動かしているうちに、便意をもよおしたようである。「うあぉぉぉぉ」といいつつ、後始末をした。浣腸の手間が省けて、母の体調のほうも良いので文句は言えない。
今日も調子がよいようで、
朝食 いつものスナックパン、トマト、コーンスープに、今日は玉子一個のオムレツ&ケチャップ
昼食 お好み焼き(玉子)
おやつ ラ・フランス
夕食 甘エビシュウマイ(冷凍)、カボチャの味噌汁、お粥、お新香
と、よく食べた。
今日も自然に排便するか待っているうちに、買い物に出かけたりしたので浣腸のタイミングを逃した。明日訪問看護があるので、今日はお休みにした。
何せ前回は、手術前に肺機能検査を二回もして、検査技師さんもこんなことは初めてだと言っていたのを覚えている。一応一生懸命リハビリして、何とか今の状態になったのだが・・・ ある意味で私のような状態は、例外的存在である。
具体的日程としては、来月26日が第一候補となった。それ以前にキャンセルがあれば、もう少し早まるとの事であったが、十一月中旬より早くなる事はなさそうである。
そんな診察が昼過ぎに終了したので、弁当を置いて出かけてきた母の携帯に、昼ご飯を食べたかどうか電話してみた。そしたら何と、「う○○○」がしたい、と言うのでタクシーに飛び乗って帰宅した。がぁぁぁぁぁ、間に合わなかった。
紙オシメをしているので、じっとしていてくれればよかったのだけれど、親父も出かけていて一人だったので、アタフタしたせいで紙おむつがすれで、背中の方が汚れてしまった。シーツやパジャマの背中側が汚れてしまった。
一人でいて体を動かしているうちに、便意をもよおしたようである。「うあぉぉぉぉ」といいつつ、後始末をした。浣腸の手間が省けて、母の体調のほうも良いので文句は言えない。
今日も調子がよいようで、
朝食 いつものスナックパン、トマト、コーンスープに、今日は玉子一個のオムレツ&ケチャップ
昼食 お好み焼き(玉子)
おやつ ラ・フランス
夕食 甘エビシュウマイ(冷凍)、カボチャの味噌汁、お粥、お新香
と、よく食べた。
今日も自然に排便するか待っているうちに、買い物に出かけたりしたので浣腸のタイミングを逃した。明日訪問看護があるので、今日はお休みにした。
デシタルワールドのアナログ化
2007-10-15
今日は朝からmixiで知り合った高校の後輩からメールがあり、ランチを一緒に食べで、その後彼女の希望の絞りで有名な有松界隈を散策してきた。


彼女と実際に会うのは今日が初めてであった。ご主人がこの地方に長期出張中なので、彼女が愛知県まで来ている。前回の時には、時間の都合がつかず会えなかった。
高校の後輩といっても、私が第一回卒業生で、彼女は第三回に当たる。だから当時から、直接の面識があったわけではない。だけど同じラクビー部にいたO君のことを彼女が覚えていて、それを切っ掛けにmixiでやり取りするようになっていた。O君は途中からラグビー部に参加するようになった。今回話していて始めて知ったのだけれど、彼は中学時代には吹奏楽をやっていたので、その関連で彼女のことを可愛がっていたようである。イロイロややこやしい家庭だったO君の家庭内の事情から、彼女のことを妹分として可愛がっていたようである。
今日は、お互いにとって待ち合わせしやすい名鉄神宮前駅の改札前のコンビにで待ち合わせした。私の方は彼女の顔を知らなかったのだけれど、改札口に歩いてくる姿をみてすぐわかった。
まだ名古屋名物「ひつまぶし」を食べていないということだったので、駅近くの「辧天(べんてん)」という店で、ひつまぶしを食べてきた。「ひつまぶし」といえば、「蓬莱軒」が全国的に有名かもしれない。今は熱田神宮内にあった店が、神宮の事情で追い出されてしまって、熱田神宮南の新しい店変わってしまった。すこし離れた所の本店は相変らずかもしれないけれど、新しい店は、かつて熱田神宮境内に店があったときのようなひなびた風情がなくなり、当時をしる人々からはあまり評判はよくないようである。
それはあの味噌カツで有名になった「矢場トン」と同じ現象のようである。何処も同じ、マスコミに取り上げられるようになって儲かるようになると、かつてあった店の「情緒」とか「風情」とか「趣(おもむき)」が失われてしまうようである。それを嘆き悲しんでいたのが、池波先生であった。
彼女との会話は、仙台の今の様子だったり、高校時代の思い出だったり、彼女の家庭のことなど多岐にわたった。初めは彼女も私の言葉を聞き取りにくかったようであるが、暫く話しているうちに不自由しなくなった。もっともほとんど話していたのは、彼女の方であったけれど。だけどそんな会話が、楽しいひと時であった。
仙台駅前の「エンドウ」や、その横の朝市、十字屋のその後、一番町にある藤崎の事。映画館や喫茶店、そして私には思いで多い高山書店のその後・・・・ そんな変わってしまった仙台の話。またあの頃一番町に友達と遊びに行くとよく食べに行った、飯屋の「半田屋」のことなど、心の奥底にしまわれている想い出を喚起してくれたひと時であった。
もう走れないけれど、あの時あのグランドて共に汗を流したラクビー部の皆はどうしているだろうか??
mixiでやり取りした後輩によれば、そのラクビー部そのものが今では廃部になっているとの事である。歴史と伝統を作れなかった第一回生としては、じくじたるものがある。花園に行けるようなメンバーだったと、今でも思っているだけに。
我が人生のターニングポイントは、あの時だったのかもしれない。あの時チームの皆をまとめて、真剣に花園を狙わなかったことが、その後の心に大きな影を落としていたのかもしれない。
久しぶりに訪れた有松は、記憶の中の情景と随分様変わりしていた。大体駅前にマックスバリューがあったりするし、もっと駅前は緑豊かだったように記憶していた。彼女は事前にネットでアレコレ調べていたのだけれど、入手していたイラストマップやお勧めの店などとの写真と比べて、現実の様子に少し落胆していたようであった。「有松絞り」を中心として、旧東海道沿いに残る旧家の家並みを「有松めぐり」として紹介しているようであるが、それらの旧家は住まいとして使われているために、公開されていないので外からその佇まいを伺うしかなかった。
観光開発としては、まだまだの様子であった。観光化したいなら、旧家を中心にすえて、それを人々に公開したり、それ以外の新築された家々外観など違和感のない様に補助して補修などしてみれば、あるいは人々が多く訪れるようになるかもしれない。なにせ目玉となる「有松絞り」という商品があり、旧東海道にあたるり、それなりの家屋敷がまだ残っているのだから。町内に、そんな知恵者はいないようである。
もう一つのデジタルワールドがらみでは、マコト君から「ななし」さんの手紙が転送されてきたのを、今日の訪問介護で出たゴミを捨てに行った帰りに覗いたポストに見つけた。

「ななし」さんには、私の体調を気遣っていただき、有難う御座いました。まだ元気???にしています。またマコト君のブログにでも、近況をお知らせ下さい。一歩ずつでも、社会との接点の復旧されていることを祈っています。
さらに開けてビックリ、な・な・なんと今回はマコト君からの手紙に驚いてしまった。その文面が、シッカリ丁寧に書かれていた。いつにないことなので、彼の心の波が落ち着いているように想像されて、嬉しく思ったりしています。だけど残念ながら同封してもらったCD−ROMは割れていました。何とか私もブロードバンド化しないと・・・・ なんとか”K”から”M”へ移行しないといけないなぁ〜〜。せっかくの機会は、腹立ち紛れに断ってしまったし。

とまあ〜今日は、デジタルワールドでの繋がりが、現実世界の日常に実体化した一日となった。
帰ってきて作った、母用のお粥。今日は熊本産の大きな栗が売られていたので、買ってきて茹でた。それを利用して、栗ご飯ならぬ、栗お粥にした。母が元気だった頃には、秋になると茹で栗を作ってくれて、それを包丁で半分に切って、スプーンですくって食べるのがこの季節であった。



彼女と実際に会うのは今日が初めてであった。ご主人がこの地方に長期出張中なので、彼女が愛知県まで来ている。前回の時には、時間の都合がつかず会えなかった。
高校の後輩といっても、私が第一回卒業生で、彼女は第三回に当たる。だから当時から、直接の面識があったわけではない。だけど同じラクビー部にいたO君のことを彼女が覚えていて、それを切っ掛けにmixiでやり取りするようになっていた。O君は途中からラグビー部に参加するようになった。今回話していて始めて知ったのだけれど、彼は中学時代には吹奏楽をやっていたので、その関連で彼女のことを可愛がっていたようである。イロイロややこやしい家庭だったO君の家庭内の事情から、彼女のことを妹分として可愛がっていたようである。
今日は、お互いにとって待ち合わせしやすい名鉄神宮前駅の改札前のコンビにで待ち合わせした。私の方は彼女の顔を知らなかったのだけれど、改札口に歩いてくる姿をみてすぐわかった。
まだ名古屋名物「ひつまぶし」を食べていないということだったので、駅近くの「辧天(べんてん)」という店で、ひつまぶしを食べてきた。「ひつまぶし」といえば、「蓬莱軒」が全国的に有名かもしれない。今は熱田神宮内にあった店が、神宮の事情で追い出されてしまって、熱田神宮南の新しい店変わってしまった。すこし離れた所の本店は相変らずかもしれないけれど、新しい店は、かつて熱田神宮境内に店があったときのようなひなびた風情がなくなり、当時をしる人々からはあまり評判はよくないようである。
それはあの味噌カツで有名になった「矢場トン」と同じ現象のようである。何処も同じ、マスコミに取り上げられるようになって儲かるようになると、かつてあった店の「情緒」とか「風情」とか「趣(おもむき)」が失われてしまうようである。それを嘆き悲しんでいたのが、池波先生であった。
彼女との会話は、仙台の今の様子だったり、高校時代の思い出だったり、彼女の家庭のことなど多岐にわたった。初めは彼女も私の言葉を聞き取りにくかったようであるが、暫く話しているうちに不自由しなくなった。もっともほとんど話していたのは、彼女の方であったけれど。だけどそんな会話が、楽しいひと時であった。
仙台駅前の「エンドウ」や、その横の朝市、十字屋のその後、一番町にある藤崎の事。映画館や喫茶店、そして私には思いで多い高山書店のその後・・・・ そんな変わってしまった仙台の話。またあの頃一番町に友達と遊びに行くとよく食べに行った、飯屋の「半田屋」のことなど、心の奥底にしまわれている想い出を喚起してくれたひと時であった。
もう走れないけれど、あの時あのグランドて共に汗を流したラクビー部の皆はどうしているだろうか??
mixiでやり取りした後輩によれば、そのラクビー部そのものが今では廃部になっているとの事である。歴史と伝統を作れなかった第一回生としては、じくじたるものがある。花園に行けるようなメンバーだったと、今でも思っているだけに。
我が人生のターニングポイントは、あの時だったのかもしれない。あの時チームの皆をまとめて、真剣に花園を狙わなかったことが、その後の心に大きな影を落としていたのかもしれない。
久しぶりに訪れた有松は、記憶の中の情景と随分様変わりしていた。大体駅前にマックスバリューがあったりするし、もっと駅前は緑豊かだったように記憶していた。彼女は事前にネットでアレコレ調べていたのだけれど、入手していたイラストマップやお勧めの店などとの写真と比べて、現実の様子に少し落胆していたようであった。「有松絞り」を中心として、旧東海道沿いに残る旧家の家並みを「有松めぐり」として紹介しているようであるが、それらの旧家は住まいとして使われているために、公開されていないので外からその佇まいを伺うしかなかった。
観光開発としては、まだまだの様子であった。観光化したいなら、旧家を中心にすえて、それを人々に公開したり、それ以外の新築された家々外観など違和感のない様に補助して補修などしてみれば、あるいは人々が多く訪れるようになるかもしれない。なにせ目玉となる「有松絞り」という商品があり、旧東海道にあたるり、それなりの家屋敷がまだ残っているのだから。町内に、そんな知恵者はいないようである。
もう一つのデジタルワールドがらみでは、マコト君から「ななし」さんの手紙が転送されてきたのを、今日の訪問介護で出たゴミを捨てに行った帰りに覗いたポストに見つけた。

「ななし」さんには、私の体調を気遣っていただき、有難う御座いました。まだ元気???にしています。またマコト君のブログにでも、近況をお知らせ下さい。一歩ずつでも、社会との接点の復旧されていることを祈っています。
さらに開けてビックリ、な・な・なんと今回はマコト君からの手紙に驚いてしまった。その文面が、シッカリ丁寧に書かれていた。いつにないことなので、彼の心の波が落ち着いているように想像されて、嬉しく思ったりしています。だけど残念ながら同封してもらったCD−ROMは割れていました。何とか私もブロードバンド化しないと・・・・ なんとか”K”から”M”へ移行しないといけないなぁ〜〜。せっかくの機会は、腹立ち紛れに断ってしまったし。


とまあ〜今日は、デジタルワールドでの繋がりが、現実世界の日常に実体化した一日となった。
帰ってきて作った、母用のお粥。今日は熊本産の大きな栗が売られていたので、買ってきて茹でた。それを利用して、栗ご飯ならぬ、栗お粥にした。母が元気だった頃には、秋になると茹で栗を作ってくれて、それを包丁で半分に切って、スプーンですくって食べるのがこの季節であった。

東海 大人のウォーカー
2007-10-15
先日買い物のついでに覗いた書店で、

『東海 大人のウォーカー
昭和三十年代の懐かしい場所を訪ねて
名古屋レトロ散歩
東山動植物園、覚王山、白壁、大須・・・
エピソードを辿る秋の散策コース
餃子、串カツ、マロンケーキ・・・
今も愛される名物メニュー 』
という表紙に引かれて、思わず購入してしまった一冊。
CONTENTS
・昭和30〜40年代の名古屋 なつかし写真館
・大正から昭和を歩く
・東山動植物園
・覚王山
・白壁界隈
・大須
・名古屋は駄菓子メーカーの宝庫 名古屋駄菓子ものがたり
・昭和30〜40年代大衆が愛した名物メニュー
・御園座界隈 役者が愛した店
・大にぎわい 名古屋城下町散歩
・城下町をにぎわす 珍事かわら版
・名古屋市博物館開館30周年イベント 江戸時代を体感する
[特別付録]江戸時代の古地図と現代の地図を見比べて歩く
城下町今昔散歩
「昭和30〜40年代の名古屋 なつかし写真館」には、本当に懐かしい写真があった。古い名古屋駅前や、最近のマコト君のところでも紹介があった市電の「花電車」。そしてなにより子供の頃のワンダーランドであった、百貨店(デパートではなく)の屋上にあった遊園地。ここにはあの「オリエンタル中村百貨店」(現在の三越)の屋上にあった観覧車が写っている写真がある。
「東山動植物園」には、あの入り口にあったコンクリート製の恐竜達の姿をとどめた写真が紹介されていないのは、大変残念なことであり、大きな手落ちである。 あの頃は、今のように面倒なことをいわず、自由に登れた。まぁ、当時の子供にとって木登りなど普段の日常の遊びにあったので、怪我するような子供などいなかった。それにしても現代の子供たちはひ弱である。
話が脱線するが、先日TVのニュースのコメントに、今時の子供たちの修学旅行の話題が話されていた。現代の子供たちは、夜枕投げなどしてはしゃがないそうである。そんなことをすると、翌日グッタリしてどうしようもなくなるそうである。人生で最もエネルギーにあふれているはずの時に、そんな体たらくでは将来暗澹たるものである。今でも駅前やコンビに前にベタベタ座っている子(特に女の子が多い)を見かけることが多くなった。隣を年寄りがスタスタと歩いているのに。自ら体すら支えられず、立ったいられなくなったなら、それは先祖返りであり、退化である。
あの頃、今より貧しい身なりたったし、今のような贅沢な食事などはなかったが、皆がはつらつとしていた様な気がする。
「名古屋は駄菓子メーカーの宝庫 名古屋駄菓子ものがたり」に、大々的に「マルカワ オレンジ マーブルフーセンガム」が掲載されている。今でも売られているけれど、駄菓子屋の思い出と共に郷愁をさそう一品である。
「昭和30〜40年代大衆が愛した名物メニュー」「御園座界隈 役者が愛した店」
池波正太郎先生の「散歩のときに何か食べたくなって」の中に、「名古屋懐旧」の一文がある。先生が新国劇の劇作家をされていて、御園座で仕事されてい時分の事が書かれている。併読するのも一興である。
等々書きたいことが次々と頭の中を駆け巡っているが、とりあえずこんな所で筆ならぬキーボートを休めることにする。母の体調の良いときにでも外出して、「名古屋市博物館開館30周年イベント 江戸時代を体感する」でも見学に出かけられたらよいのだが・・・・・・

『東海 大人のウォーカー
昭和三十年代の懐かしい場所を訪ねて
名古屋レトロ散歩
東山動植物園、覚王山、白壁、大須・・・
エピソードを辿る秋の散策コース
餃子、串カツ、マロンケーキ・・・
今も愛される名物メニュー 』
という表紙に引かれて、思わず購入してしまった一冊。
CONTENTS
・昭和30〜40年代の名古屋 なつかし写真館
・大正から昭和を歩く
・東山動植物園
・覚王山
・白壁界隈
・大須
・名古屋は駄菓子メーカーの宝庫 名古屋駄菓子ものがたり
・昭和30〜40年代大衆が愛した名物メニュー
・御園座界隈 役者が愛した店
・大にぎわい 名古屋城下町散歩
・城下町をにぎわす 珍事かわら版
・名古屋市博物館開館30周年イベント 江戸時代を体感する
[特別付録]江戸時代の古地図と現代の地図を見比べて歩く
城下町今昔散歩
「昭和30〜40年代の名古屋 なつかし写真館」には、本当に懐かしい写真があった。古い名古屋駅前や、最近のマコト君のところでも紹介があった市電の「花電車」。そしてなにより子供の頃のワンダーランドであった、百貨店(デパートではなく)の屋上にあった遊園地。ここにはあの「オリエンタル中村百貨店」(現在の三越)の屋上にあった観覧車が写っている写真がある。
「東山動植物園」には、あの入り口にあったコンクリート製の恐竜達の姿をとどめた写真が紹介されていないのは、大変残念なことであり、大きな手落ちである。 あの頃は、今のように面倒なことをいわず、自由に登れた。まぁ、当時の子供にとって木登りなど普段の日常の遊びにあったので、怪我するような子供などいなかった。それにしても現代の子供たちはひ弱である。
話が脱線するが、先日TVのニュースのコメントに、今時の子供たちの修学旅行の話題が話されていた。現代の子供たちは、夜枕投げなどしてはしゃがないそうである。そんなことをすると、翌日グッタリしてどうしようもなくなるそうである。人生で最もエネルギーにあふれているはずの時に、そんな体たらくでは将来暗澹たるものである。今でも駅前やコンビに前にベタベタ座っている子(特に女の子が多い)を見かけることが多くなった。隣を年寄りがスタスタと歩いているのに。自ら体すら支えられず、立ったいられなくなったなら、それは先祖返りであり、退化である。
あの頃、今より貧しい身なりたったし、今のような贅沢な食事などはなかったが、皆がはつらつとしていた様な気がする。
「名古屋は駄菓子メーカーの宝庫 名古屋駄菓子ものがたり」に、大々的に「マルカワ オレンジ マーブルフーセンガム」が掲載されている。今でも売られているけれど、駄菓子屋の思い出と共に郷愁をさそう一品である。
「昭和30〜40年代大衆が愛した名物メニュー」「御園座界隈 役者が愛した店」
池波正太郎先生の「散歩のときに何か食べたくなって」の中に、「名古屋懐旧」の一文がある。先生が新国劇の劇作家をされていて、御園座で仕事されてい時分の事が書かれている。併読するのも一興である。
等々書きたいことが次々と頭の中を駆け巡っているが、とりあえずこんな所で筆ならぬキーボートを休めることにする。母の体調の良いときにでも外出して、「名古屋市博物館開館30周年イベント 江戸時代を体感する」でも見学に出かけられたらよいのだが・・・・・・
失われた「当たり前」
2007-10-14
昨日この地方の名産お土産の「赤福餅」の賞味期限の問題が発覚した。生産調整のために冷凍した商品を解凍して、その日を製造日としていた。長年「当日作りたて」、かつ「手作り」を売り物にしてきた。拡大路線による金儲けに走って、長年の商人道を踏み外してしまった。
これほどの老舗ならば、「家訓」として何らかの言い伝えられてきた商いの道があるはずである。それを忘れたことにより、今回大きなしっぺ返しをこうむることとなった。何も「伊勢の名物 赤福」としてあまねく全国にその名を知られていたのだから、この地方(中部、近畿)以外では入手不可能な方が、かえって名物であり続けられたのに。
冷凍技術の急速な進歩にともない、解凍しても本来の味と触感維持できるなら、冷凍した商品を注文により各家庭に宅配で送ればよかったのである。愚かであった。
今年に入って、老舗とされる菓子メーカーの不祥事が相次いでいる。あの「ペコちゃん」の「不二家」に始まって、北海道を代表する「白い恋人」の「石屋製菓」と。
かつて評論家の竹村健一氏は、「日本の常識は、世界の非常識」という名言を述べられた。これらの会社に共通するのは。「社内の常識は、社会の非常識」ということである。このような非常識が公表されるようになったのは、まともな感覚を持っている社員が、昨今の内部告発の風潮により、自身の信念に従って愚かな社内行動に憤りを感じた行動をとってくれたおかげである。
ついでに書くと、一駅隣のあの「パロマ」は、相変らず身内大事の馬鹿馬鹿しい対応を続けている。そんな腐った企業に明日はないのは明白である。幸い(?)国内の売上げより、海外の売上げの方が上回っているので、腐った体制が維持されているようだけれど、それはあの北朝鮮が内部崩壊し始めているのと同じように、早晩哀れな終末を迎えるのは間違いないことであろう。
また昨夜の惨めな「亀田大敦」の敗戦にも、同じことがいえる。人間として、またボクサーとして、当たり前のマナーと行動と発言を出来ない愚か者の、虚飾が剥がされただけでなく、もはやボクサーとしての資格すらなかった事実が露呈した。
事前から言われていたように、高額ファイトマネーを渡して呼んだ海外選手をKO出来ても、まともな相手にはボクシングが出来なかった。ぶざまにも、ケンカしか出来なかった。あんな親子は、ボクシング会から追放すべきである。そうしないなら、あの相撲界のようになってしまうだろう。
昔からイロイロ言われているボクシング界にとって、自身で襟を正せるのかどうかが、一連の「亀田家」騒動の問題の本質であろう。
赤福餅は、母も大好きだったし、私も好物だった。今では母は、好きだった「小豆系スィーツ」も食べたくないようである。それだけ母の体が受け付けなくなっているようである。
これほどの老舗ならば、「家訓」として何らかの言い伝えられてきた商いの道があるはずである。それを忘れたことにより、今回大きなしっぺ返しをこうむることとなった。何も「伊勢の名物 赤福」としてあまねく全国にその名を知られていたのだから、この地方(中部、近畿)以外では入手不可能な方が、かえって名物であり続けられたのに。
冷凍技術の急速な進歩にともない、解凍しても本来の味と触感維持できるなら、冷凍した商品を注文により各家庭に宅配で送ればよかったのである。愚かであった。
今年に入って、老舗とされる菓子メーカーの不祥事が相次いでいる。あの「ペコちゃん」の「不二家」に始まって、北海道を代表する「白い恋人」の「石屋製菓」と。
かつて評論家の竹村健一氏は、「日本の常識は、世界の非常識」という名言を述べられた。これらの会社に共通するのは。「社内の常識は、社会の非常識」ということである。このような非常識が公表されるようになったのは、まともな感覚を持っている社員が、昨今の内部告発の風潮により、自身の信念に従って愚かな社内行動に憤りを感じた行動をとってくれたおかげである。
ついでに書くと、一駅隣のあの「パロマ」は、相変らず身内大事の馬鹿馬鹿しい対応を続けている。そんな腐った企業に明日はないのは明白である。幸い(?)国内の売上げより、海外の売上げの方が上回っているので、腐った体制が維持されているようだけれど、それはあの北朝鮮が内部崩壊し始めているのと同じように、早晩哀れな終末を迎えるのは間違いないことであろう。
また昨夜の惨めな「亀田大敦」の敗戦にも、同じことがいえる。人間として、またボクサーとして、当たり前のマナーと行動と発言を出来ない愚か者の、虚飾が剥がされただけでなく、もはやボクサーとしての資格すらなかった事実が露呈した。
事前から言われていたように、高額ファイトマネーを渡して呼んだ海外選手をKO出来ても、まともな相手にはボクシングが出来なかった。ぶざまにも、ケンカしか出来なかった。あんな親子は、ボクシング会から追放すべきである。そうしないなら、あの相撲界のようになってしまうだろう。
昔からイロイロ言われているボクシング界にとって、自身で襟を正せるのかどうかが、一連の「亀田家」騒動の問題の本質であろう。
赤福餅は、母も大好きだったし、私も好物だった。今では母は、好きだった「小豆系スィーツ」も食べたくないようである。それだけ母の体が受け付けなくなっているようである。
嘘つき「AOL」
2007-10-13
先日キャンペーンの電話をかけてきた「AOLのイー・モバイル」のキャンペーンは、嘘の内容であった。
前回の電話の内容では、直ぐ宅急便でモデムを送るから二ヶ月無料期間中に試してもらって、その間にEMOBILEの手続きをすればAOLの割引サービスがうけられるという内容だった。
何時になったら届くのか楽しみにしてたら、何のことはない申込用紙を送ってきた。結局申し込まないと試すことが出来ないのなら、詐欺まがいではないのか?
今夜かかってきた勧誘の促進電話には、文句を言ってすぐにきってやった。オペレーターの女性には悪いことをしたと思うけれど、あの孫社長の会社のような腐った手口を続けるなら、『AOL』に明日はない。
だいたい量販店で直接契約してくれば当日から利用可能なのに、何で申し込みだけにこんなに時間がかるのか理解不能である。スピードこそが、今のビジネスの要なのに。
嘘つきプロバイダーのAOLとは契約を解除して、別の所にしようかと思わないでもない。
2004年7月に、NTTからイー・アクセス株式会社へ営業譲渡されているようだけれど、つぶれたアメリカ本国の教訓を忘れてしまったようである。
前回の電話の内容では、直ぐ宅急便でモデムを送るから二ヶ月無料期間中に試してもらって、その間にEMOBILEの手続きをすればAOLの割引サービスがうけられるという内容だった。
何時になったら届くのか楽しみにしてたら、何のことはない申込用紙を送ってきた。結局申し込まないと試すことが出来ないのなら、詐欺まがいではないのか?
今夜かかってきた勧誘の促進電話には、文句を言ってすぐにきってやった。オペレーターの女性には悪いことをしたと思うけれど、あの孫社長の会社のような腐った手口を続けるなら、『AOL』に明日はない。
だいたい量販店で直接契約してくれば当日から利用可能なのに、何で申し込みだけにこんなに時間がかるのか理解不能である。スピードこそが、今のビジネスの要なのに。
嘘つきプロバイダーのAOLとは契約を解除して、別の所にしようかと思わないでもない。
2004年7月に、NTTからイー・アクセス株式会社へ営業譲渡されているようだけれど、つぶれたアメリカ本国の教訓を忘れてしまったようである。
昨日から・・・
2007-10-12
昨日午前中訪問看護を受けて、昼食を食べて一眠りしてから母の調子があやしくなった。「果物が食べたい」というので桃を食べさせて、ものの三十分もしないうちに、また「何か果物が食べたい」と言い出した。全く自分が食べたことを覚えていなかった。
夕食は寝たままで食べさせた。その後歯磨きをさせていると、体が熱いので体温を計ったら7.2度あったのでアイスノンを頭に当てて寝させた。
今朝はよく寝ていたので、起きたのが七時半過ぎだった。さっそく熱を計ったら6.4度だった。ただ腰が抜けるほどだるいと言うので、訪問看護の緊急連絡先の携帯に電話して、様子を話した。主治医に連絡をとって指示を受けて、予定外だったけれど訪問して、血液検査のための採血と、浣腸をしてもらった。
昨日の訪問看護でもよく出ていたそうだけれど、今日もよく出たそうである。随分溜まっていたようである。まだ退院して二週間なので、もう少し家にいてくれないと・・・これからのこともあるし。
緊急で検査してもらって、連絡があるとの事である。若干アンモニアの数値が上がっているかもしれない。いずれにしろ、少しずつ体が弱ってきているので介護が大変になってきている。
夕食は寝たままで食べさせた。その後歯磨きをさせていると、体が熱いので体温を計ったら7.2度あったのでアイスノンを頭に当てて寝させた。
今朝はよく寝ていたので、起きたのが七時半過ぎだった。さっそく熱を計ったら6.4度だった。ただ腰が抜けるほどだるいと言うので、訪問看護の緊急連絡先の携帯に電話して、様子を話した。主治医に連絡をとって指示を受けて、予定外だったけれど訪問して、血液検査のための採血と、浣腸をしてもらった。
昨日の訪問看護でもよく出ていたそうだけれど、今日もよく出たそうである。随分溜まっていたようである。まだ退院して二週間なので、もう少し家にいてくれないと・・・これからのこともあるし。
緊急で検査してもらって、連絡があるとの事である。若干アンモニアの数値が上がっているかもしれない。いずれにしろ、少しずつ体が弱ってきているので介護が大変になってきている。
小泉武夫ワールドを読む その一
2007-10-10

◎不味い!
新潮文庫
これは名著である。これほど見事に「不味い」理由をチャンと説明した文章はなかった。
何を食べても「美味しい」としか表現できないアホナTVのリポーターは、是非とも読まねばならない。が、アホゆえに彼等はコンナ勉強はしないだろうなぁ。
また開高先生がこの本を読んだなら、何と批評しただろうか。食に興味がある者にとっては、必読の書である。小泉先生も、文章の師は、開高先生であると何処かで述べられていただけに。




◎地球怪食紀行
「鋼の胃袋」世界を飛ぶ
知恵の森文庫
◎中国怪食紀行
我が輩は「冒険する舌」である
知恵の森文庫
◎アジア怪食紀行
「発酵仮面」は今日も行く
知恵の森文庫
◎旅せざるもの食うべからず
おれの愛した肉と魚
知恵の森文庫
この四冊を読めば、小泉ワールドを十分に堪能できる。「発酵仮面」にして「味覚人飛行物体」、そして「走るさ酒壺」にして「鋼の胃袋」の「歩く胃袋」こと小泉先生が駆け抜けた味覚ワールドを。この一種独特な「小泉文体」になれてしまうと、好きな者にとっては小泉先生の愛してやまない発酵食品の臭気が唾液を誘発するのと同じである。

◎くさいはうまい
文春文庫
最近の食番組のレポーターの定番の言葉に、「くさみがない」というのがあるが、その物の匂いがないのなら一体なにを食べているのかわからないはずである。彼等にイタメシを食べさせたら、パスタにかかったチーズは臭くないのか?
かつて日本の野菜でも、もっとその物の匂いがした。人参はニンジンらしく、胡瓜はキュウリらしい香りが。今我々の食生活から、旬が失われてしまった。スーパーで売りやすくするために、我々は本当の味を忘れてしまった。それでも我々の生活は豊かになったのだろうか、とふと疑問に思えてくる。

◎地球を肴に飲む男
講談社文庫
先の四冊と並んで、これまた小泉ワールドが楽しめる一冊。「酒なくして、何の人生ぞ」というのん兵衛ばかりでなく、アセトアルデヒドが分解できない人にも十分に楽しめる。

◎納豆の快楽
講談社文庫
納豆の素晴らしさがよくわかる一冊である。また後半の小泉流納豆怪食レシピ22には、驚くような食べ方が登場してくる。科学者にしてグルメでグルマンである小泉ワールドの面目躍如たるものがある。

◎小泉教授が選ぶ「食の世界遺産」日本編
講談社文庫
日本人なのに箸すらまともに握れない若者が多くなった昨今、「フレンチだ」、「イタメシだ」、「マクドだ」と貪っても、日本食を知らない日本人に成り下がりつつある今、自分たちの食文化を大切にしようではないかという小泉先生のご提言に、政府も耳を傾けるべきであろう。
このところの耳を塞ぎ、目を覆いたくなるようなニュース背景にあるのは、日本人としてのバックボーンの喪失による影響ではないだろうか。伝統食を大切にすることこそ、「美しい国」への第一歩だったのではないだろうか、裸の王様安倍君よ。
今日の診察
2007-10-09
今日は名大病院の呼吸器外科の診察に行ってきた。先週撮ったCTの画像の結果、今のところ他には肺にガンは見つかっていないようであるので、一応手術が適応可能のようである。ただ予見していたように、少し大きくなっていた。手術のための準備として、各種検査をして帰ってきた。
血液検査が五本ほどあり、尿検査に呼吸器の検査。通常の肺機能検査に加えて、五分間連続しての検査とか、高速で大きく吸ったりはいたりとか、それと三分間の踏み台運動をしてからの心電図とか、正面と横からのレントゲン撮影などしてきた。
手術のための準備と共に、鬼門の麻酔科の診察をクリアーするための基礎データーを揃えるためである。なにせ前回も中々麻酔科のOKが出なくて、ヤキモキしたので。その旨U先生に話して、いずれ受けなければならない麻酔科の診察のための準備でもある。
昼時の診察だったので、母には弁当を用意して出かけた。お握り小をほ三つと、ワカサギの佃煮にタクワン。それに予定通り日曜日に冷蔵庫が配達されたので、デザートとして梨をむいてダッパーに入れておいた。帰ってきたら、冷蔵庫に入れてあったブルーベリーのゼリーまで食べていた。
自分で食べたいだけ食べたので、ご機嫌であった。多分何度も起きたり寝たりしていたせいか、少し足にむくみが出ていた。夕ご飯時には起きていられないので、結局ほとんどを食べさせた。疲れたガヤ。
ちなみに母の今夜のメニューは、お粥に湯豆腐。湯豆腐にワケギとエノキダケを追加した、小鍋仕立て。それと好物のラッキョウ二個。
検査で遅くなったので、帰り道ラーメン店で台湾ラーメンと生ビールをお腹に納めただけなので、いまお腹がすいている。
それと昨夜、自分の家の鍵が行方不明になってしまった。買い物から帰ってきた時に鍵を開けて家に入ったのだから、必ず家の何処かにあるはずなのだけれど、それが「ナイ」。今日はオヤジも外出予定だったので困った。しょうがないので母の鍵を探して(これも大変だったが)今日は出かけて、帰りに金山駅前のダイエーの六階で新しのを作ってきた。
血液検査が五本ほどあり、尿検査に呼吸器の検査。通常の肺機能検査に加えて、五分間連続しての検査とか、高速で大きく吸ったりはいたりとか、それと三分間の踏み台運動をしてからの心電図とか、正面と横からのレントゲン撮影などしてきた。
手術のための準備と共に、鬼門の麻酔科の診察をクリアーするための基礎データーを揃えるためである。なにせ前回も中々麻酔科のOKが出なくて、ヤキモキしたので。その旨U先生に話して、いずれ受けなければならない麻酔科の診察のための準備でもある。
昼時の診察だったので、母には弁当を用意して出かけた。お握り小をほ三つと、ワカサギの佃煮にタクワン。それに予定通り日曜日に冷蔵庫が配達されたので、デザートとして梨をむいてダッパーに入れておいた。帰ってきたら、冷蔵庫に入れてあったブルーベリーのゼリーまで食べていた。
自分で食べたいだけ食べたので、ご機嫌であった。多分何度も起きたり寝たりしていたせいか、少し足にむくみが出ていた。夕ご飯時には起きていられないので、結局ほとんどを食べさせた。疲れたガヤ。
ちなみに母の今夜のメニューは、お粥に湯豆腐。湯豆腐にワケギとエノキダケを追加した、小鍋仕立て。それと好物のラッキョウ二個。
検査で遅くなったので、帰り道ラーメン店で台湾ラーメンと生ビールをお腹に納めただけなので、いまお腹がすいている。
それと昨夜、自分の家の鍵が行方不明になってしまった。買い物から帰ってきた時に鍵を開けて家に入ったのだから、必ず家の何処かにあるはずなのだけれど、それが「ナイ」。今日はオヤジも外出予定だったので困った。しょうがないので母の鍵を探して(これも大変だったが)今日は出かけて、帰りに金山駅前のダイエーの六階で新しのを作ってきた。
久々の散歩
2007-10-07
昨日土曜日の前日の天気予報が晴れだったので、金曜日から母を退院後初めての散歩に連れて行くことを予定していた。母も楽しみにしていて、朝起きたら予報通りだったので、朝食前に痛み止めの座薬のボルタレンを利用して車椅子で出かけられるように準備した。
朝食後一休みして、九時少し前に近くの公園に出かけて、鳩に餌をやってきた。久しぶりの外の空気を喜んでいた。当日は団地内の保育園が運動会の日だったし、公園でも何処かの保育園(小さな子が多かったので)が運動会をしていた。毎度お馴染みの、お父さんカメラマンが活躍していた。
団地のゴミ捨て場に網をかけるようになって、それ以前のようにカラス達は餌を食べられなくなったせいか、遠巻きに餌のトウモロコシをついばみに来ていた。鳩ほど上手に餌を見分けられないようで、鳩に食べられるばかりであった。悪食をもって、都市化に対応したカラスであるが、小さな物の認識は苦手なようであった。まぁ彼等の最終手段としては、鳩を捕まえて食べるという方法もある。
私の体調はマズマズであるが、毎夜何度か母の様子を見に行ったりしているのと、一日中ビールの酔いが回っているせいなのか、あるいは癌の影響なのか、体がだるく感じられ眠たい。
日々酒精の力を借りて、張り裂けそうな心と向かい合っている。
先日キャンペーンに同意したイー・モバイルからの宅急便はまだ届いていない。ドンクサイ対応である。スピードが必要なのは、通信速度だけではない。
朝食後一休みして、九時少し前に近くの公園に出かけて、鳩に餌をやってきた。久しぶりの外の空気を喜んでいた。当日は団地内の保育園が運動会の日だったし、公園でも何処かの保育園(小さな子が多かったので)が運動会をしていた。毎度お馴染みの、お父さんカメラマンが活躍していた。
団地のゴミ捨て場に網をかけるようになって、それ以前のようにカラス達は餌を食べられなくなったせいか、遠巻きに餌のトウモロコシをついばみに来ていた。鳩ほど上手に餌を見分けられないようで、鳩に食べられるばかりであった。悪食をもって、都市化に対応したカラスであるが、小さな物の認識は苦手なようであった。まぁ彼等の最終手段としては、鳩を捕まえて食べるという方法もある。
私の体調はマズマズであるが、毎夜何度か母の様子を見に行ったりしているのと、一日中ビールの酔いが回っているせいなのか、あるいは癌の影響なのか、体がだるく感じられ眠たい。
日々酒精の力を借りて、張り裂けそうな心と向かい合っている。
先日キャンペーンに同意したイー・モバイルからの宅急便はまだ届いていない。ドンクサイ対応である。スピードが必要なのは、通信速度だけではない。
更新をサボり気味ですが・・・
2007-10-05
母が退院1週間経過したが、今回は時々怪しくなるだけで、こちらは毎夜一応寝られるので何とかやり過ごすことが出来た。
父親がブツブツ言うので、母の昼食地と夕食は今回初めて給食サービスを利用してみた。肝臓病食にしてご飯(全粥)にしてもらうように頼んでおいたのだけれど、届くご飯はどう見ても普通食みたいな感じがした。なのでお粥をオフクロサンが食べられる量だけ茶碗に取り、チンして食べていた。オカズは、見た目より油が使われているようなので、結局煮魚とオシタシ以外は食べなかった。食べなかった分は、オヤジの酒のつまみになっていた。
同じ肝臓病食でも、肝硬変の代償期と非代償期でもその内容は大きく違う。代償期なら、肝臓のために優良なタンパク質は必要欠くべからざるものであるが、母のように非代償期になってしまうと、かえって動物性タンパク質の摂取が負担になってしまうので、制限しないといけない。
オヤジの注文が悪かったのか、それと普通の肝臓病食で、非代償期の食事には対応していなかったのかもしれなてい。いずれにしろ、また三食私が用意することにして、ご飯の配達は断った。
昨日は主治医のE先生の往診があった。心配して来ていただいたようであった。上手く退院後の状態を保てているのにご機嫌だった。ついでに私の事も報告しておいた。
毎日「平穏」というわけではなかったので、私の心も揺れて更新をサボりがちだった。その間社会では色々な事があり、思うことが様々あったのだけれど、書けずに時が過ぎてしまった。やっと日記を書けるようになったので、ブログの更新もする気になった。
父親がブツブツ言うので、母の昼食地と夕食は今回初めて給食サービスを利用してみた。肝臓病食にしてご飯(全粥)にしてもらうように頼んでおいたのだけれど、届くご飯はどう見ても普通食みたいな感じがした。なのでお粥をオフクロサンが食べられる量だけ茶碗に取り、チンして食べていた。オカズは、見た目より油が使われているようなので、結局煮魚とオシタシ以外は食べなかった。食べなかった分は、オヤジの酒のつまみになっていた。
同じ肝臓病食でも、肝硬変の代償期と非代償期でもその内容は大きく違う。代償期なら、肝臓のために優良なタンパク質は必要欠くべからざるものであるが、母のように非代償期になってしまうと、かえって動物性タンパク質の摂取が負担になってしまうので、制限しないといけない。
オヤジの注文が悪かったのか、それと普通の肝臓病食で、非代償期の食事には対応していなかったのかもしれなてい。いずれにしろ、また三食私が用意することにして、ご飯の配達は断った。
昨日は主治医のE先生の往診があった。心配して来ていただいたようであった。上手く退院後の状態を保てているのにご機嫌だった。ついでに私の事も報告しておいた。
毎日「平穏」というわけではなかったので、私の心も揺れて更新をサボりがちだった。その間社会では色々な事があり、思うことが様々あったのだけれど、書けずに時が過ぎてしまった。やっと日記を書けるようになったので、ブログの更新もする気になった。
je decide(ジュ・デシデ:我、決心す)
2007-10-02
今日は名大の呼吸器外科の外来を受診してきた。入院中に決めたように、手術時の安全性を優先して名大病院で手術してもらうようW先生にお願いしてきた。先日耳鼻科の主治医のF先生からあった連絡のように、麻酔時に手術の加工した場所が問題となる。W先生にも、その方がいいのではないかと賛同いただいた。
手術時の「麻酔」そのものが前回も大問題たっただけに、他で手術となると、「麻酔」にまつわるアレヤコレヤのやり取りで、結局名大病院で手術するのと同じか、ヘタをするともっと時間が掛かりそうなので、名大病院での手術を決心した。
但し問題なのは、前回CTを撮影してからの変化である。もし他にもガンが見つかるなら、手術は正しい治療方針とはならない。だから今日もう一度CTを撮影してきた。来週再度外来を受診して、本当に手術適応可能か確認することになった。
CT撮影終了後、入院中の約束通りに病棟のN師長さんに会いに行った。その前に病院内の喫茶店で、今日の顛末と母のことを簡単に手紙にしたためて病棟を訪ねた。口頭でも大まかにN師長さんに報告した。今日は日勤でないお世話になっている担当看護師のYさんから、「詳しく聞いておくように言われた」と師長さんが笑っていた。
東名古屋病院のS先生から、「もしかしたら足の速いタイプかもしれない」と言われたことが気に掛かっている。またそのことを背中のウズキが証明しているような気がする。まぁ、後は自分の運にかけるしかない。私の『感(カン)』は、しきりにアラームを鳴らしているのだが・・・・
病院からの帰り道、母の混乱の元の「冷蔵庫」を買いに行った。母が入院していた協立病院の床頭台のテレビの下には、小さな冷蔵庫があった。家電店には他にももっと小さいタイプの冷蔵庫があったのだけれど(缶数本だけ入れられるタイプ)、これ以上混乱させないために病院と同じようなのにしてきた。但し現在庫がないとのことで、日曜日の配達となった。それには母も納得してくれた。母の部屋にあるホワイトボードを利用したカレンダーに、そのことを書いてあるので、いまのところ母も納得してくれている。
そんなコンナをこなして家に帰ったら、AOLより「EMOBILE」のキャンペーンの電話が入った。実は今日も冷蔵庫を買うときにも、携帯売り場をのぞいて「EMモバイル」を見てきた。毎回家電量販店をのぞくと、どうしょうか迷っていた。なにせ「Air−H」君には、散々泣かされてきたから。その遅さと、その料金に。お試しキャンペーンの勧誘にのることにした。一応試してみないと、その謳い文句の「高速モバイルブロードバンド」を。
「不確定な明日」への第一歩を決心した一日であった。
手術時の「麻酔」そのものが前回も大問題たっただけに、他で手術となると、「麻酔」にまつわるアレヤコレヤのやり取りで、結局名大病院で手術するのと同じか、ヘタをするともっと時間が掛かりそうなので、名大病院での手術を決心した。
但し問題なのは、前回CTを撮影してからの変化である。もし他にもガンが見つかるなら、手術は正しい治療方針とはならない。だから今日もう一度CTを撮影してきた。来週再度外来を受診して、本当に手術適応可能か確認することになった。
CT撮影終了後、入院中の約束通りに病棟のN師長さんに会いに行った。その前に病院内の喫茶店で、今日の顛末と母のことを簡単に手紙にしたためて病棟を訪ねた。口頭でも大まかにN師長さんに報告した。今日は日勤でないお世話になっている担当看護師のYさんから、「詳しく聞いておくように言われた」と師長さんが笑っていた。
東名古屋病院のS先生から、「もしかしたら足の速いタイプかもしれない」と言われたことが気に掛かっている。またそのことを背中のウズキが証明しているような気がする。まぁ、後は自分の運にかけるしかない。私の『感(カン)』は、しきりにアラームを鳴らしているのだが・・・・
病院からの帰り道、母の混乱の元の「冷蔵庫」を買いに行った。母が入院していた協立病院の床頭台のテレビの下には、小さな冷蔵庫があった。家電店には他にももっと小さいタイプの冷蔵庫があったのだけれど(缶数本だけ入れられるタイプ)、これ以上混乱させないために病院と同じようなのにしてきた。但し現在庫がないとのことで、日曜日の配達となった。それには母も納得してくれた。母の部屋にあるホワイトボードを利用したカレンダーに、そのことを書いてあるので、いまのところ母も納得してくれている。
そんなコンナをこなして家に帰ったら、AOLより「EMOBILE」のキャンペーンの電話が入った。実は今日も冷蔵庫を買うときにも、携帯売り場をのぞいて「EMモバイル」を見てきた。毎回家電量販店をのぞくと、どうしょうか迷っていた。なにせ「Air−H」君には、散々泣かされてきたから。その遅さと、その料金に。お試しキャンペーンの勧誘にのることにした。一応試してみないと、その謳い文句の「高速モバイルブロードバンド」を。
「不確定な明日」への第一歩を決心した一日であった。
精神腫瘍学(psycho-oncology)
2007-10-01
「精神腫瘍学(サイコオンコロジー)」とは、「精神」(こころ)と「腫瘍」(がん)とのあいだの相互作用を研究する学問領域で、「ガン医療」における「心の医学」ともいわれている。
(1)ガンそのもの、及びその治療過程が患者やその家族、さらには医療関係者にどんな精神的影響を与えるのかということを研究し、その対策を提供すること。
(2)患者の心理状態が、ガンに対してどんな影響を及ぼすのかを研究することです。
◎がん患者の約半数に通常の生活が送れないほどの不安や気分の落ち込みなどがみられる。それほど癌を抱えることは大変なストレスである。癌によるさまざまなストレスにより生ずる患者や家族の精神的反応(心の痛み)に的確に対応し、心の支えとなり、生活の質、生き方の質を高め、癌と自分らしく上手に取り組めるように援助することを目標にする。心に寄り添うやさしい医療を心がけ、心のケア・心のサポートを行いう。治療としては、カウンセリングやリラクセーションなどに加え、必要なら適切な薬剤の併用を行う場合もある。
ガン医療においては、患者のうちの少なくとも20〜30パーセントが精神科的サポートを必要とすると言われている。
◎入院もしくは治療中のガン患者のうち、対象となる疾患としては「適応障害」、「せん妄」、「うつ病」の3つが7割以上を占めている。それに対するカウンセリングおよび薬物療法の提供ということになる。
◎外来では、ガンをいったん乗り越えた、いわゆるサバイバーの方々への心理的援助。
◎サポートの内容は病期によっても大きく異なる。
(1)告知直後でパニックになった患者(受容問題)。
(2)手術後に抑うつが出現した患者。
(3)寛解後に再発の不安に悩まされる患者。
(4)死を間近に迎えて、自分の人生の意味を問い直すことで不安になったり、意味のないものだったと抑うつ的になる患者。
(5)最後に、患者のケアを一手に引き受ける家族の心理的な問題についての対処。
<癌患者に多くみられる精神的反応 ・適応障害>
癌になった衝撃や再発への不安、あるいは癌により変化した体の状態や生活についていけず、仕事や家事といった日常生活に支障が出るほどの不安や気分の落ち込みなどの不安定な情緒状態が2週間以上続く場合。
<うつ病>
気分が落ち込む、以前楽しんでいたことが楽しくない、興味がわかない、食欲が出ない、眠れない、何かしようとしても気力が出ない、物事に集中できない、自分を責めてしまう、死んでしまいたいという気持ちになる、などの症状が2週間以上続く場合。
<せん妄>
身体的な状況が悪化したときなど、何らかの原因による一時的な脳の機能低下に基づく意識障害で起こる精神的反応で、夢うつつのような状態になる。軽度ないし中等度の意識混濁に興奮や幻覚などの症状を伴う場合。
(1)ガンそのもの、及びその治療過程が患者やその家族、さらには医療関係者にどんな精神的影響を与えるのかということを研究し、その対策を提供すること。
(2)患者の心理状態が、ガンに対してどんな影響を及ぼすのかを研究することです。
◎がん患者の約半数に通常の生活が送れないほどの不安や気分の落ち込みなどがみられる。それほど癌を抱えることは大変なストレスである。癌によるさまざまなストレスにより生ずる患者や家族の精神的反応(心の痛み)に的確に対応し、心の支えとなり、生活の質、生き方の質を高め、癌と自分らしく上手に取り組めるように援助することを目標にする。心に寄り添うやさしい医療を心がけ、心のケア・心のサポートを行いう。治療としては、カウンセリングやリラクセーションなどに加え、必要なら適切な薬剤の併用を行う場合もある。
ガン医療においては、患者のうちの少なくとも20〜30パーセントが精神科的サポートを必要とすると言われている。
◎入院もしくは治療中のガン患者のうち、対象となる疾患としては「適応障害」、「せん妄」、「うつ病」の3つが7割以上を占めている。それに対するカウンセリングおよび薬物療法の提供ということになる。
◎外来では、ガンをいったん乗り越えた、いわゆるサバイバーの方々への心理的援助。
◎サポートの内容は病期によっても大きく異なる。
(1)告知直後でパニックになった患者(受容問題)。
(2)手術後に抑うつが出現した患者。
(3)寛解後に再発の不安に悩まされる患者。
(4)死を間近に迎えて、自分の人生の意味を問い直すことで不安になったり、意味のないものだったと抑うつ的になる患者。
(5)最後に、患者のケアを一手に引き受ける家族の心理的な問題についての対処。
<癌患者に多くみられる精神的反応 ・適応障害>
癌になった衝撃や再発への不安、あるいは癌により変化した体の状態や生活についていけず、仕事や家事といった日常生活に支障が出るほどの不安や気分の落ち込みなどの不安定な情緒状態が2週間以上続く場合。
<うつ病>
気分が落ち込む、以前楽しんでいたことが楽しくない、興味がわかない、食欲が出ない、眠れない、何かしようとしても気力が出ない、物事に集中できない、自分を責めてしまう、死んでしまいたいという気持ちになる、などの症状が2週間以上続く場合。
<せん妄>
身体的な状況が悪化したときなど、何らかの原因による一時的な脳の機能低下に基づく意識障害で起こる精神的反応で、夢うつつのような状態になる。軽度ないし中等度の意識混濁に興奮や幻覚などの症状を伴う場合。

